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2016.09.07

明石海峡 和歌・歌・詩

明石海峡、大橋、神戸・明石・淡路島に関係のある
歌・詩・和歌を掲載しています。

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明石海峡大橋と淡路島   (地図
(アジュール舞子から)


『荒磯越す 波をかしこみ 淡路島 見ずや過ぎなむ ここだ近きを』
(万葉集)
〔素晴らしい景観の明石海峡を見ないで通り過ぎるのは残念である〕

明石海峡大橋の建設で、海峡の素晴らしい風景が損なわれることを心配して、 海底トンネル案が検討されました。この素晴らしい景観を見ることは、
飛鳥時代からの日本人の悲願であったことが、歌にも残っています。
昔は、危険な場所で、海岸から離れた山の中の古山陽道を通ったようです。



万葉集:飛鳥の歌人:柿本人麻呂の歌
『ともし火の 明石の大門(おおと)に 入らむ日や 漕ぎ分かれなむ 家のあたり見ず』

〔九州に赴任する時、明石海峡に船が入って故郷の大和の家の方が見えなくなった〕


『天さかる 夷(ひな)の長道(ながじ)ゆ 恋ひ来れば 明石の大門より 大和嶋見ゆ』
〔西国からの長い瀬戸内海の船旅も、明石海峡を乗り切ると大和の生駒山も見えてくる〕

万葉集か古今集か?人麻呂か小野篁(おののたかむら)の歌か?
『ほのぼのと 明石の浦の 朝霧の 島がくれゆく 舟をしぞ思う』



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第2次世界大戦の1945年(昭和20年)5月頃には、明石海峡は、機雷が投下され鋼鉄船の航行は不能になり、淡路島の岩屋~明石間の定期便:播淡連絡船は運行を中止する。
同年の12月9日、岩屋を出帆した30トンの木造船「せきれい丸」は、定員の3倍以上の344名を乗せ岩屋と明石の中間点に来た時、西波を受け転覆、全員が明石海峡に投げ出され、 助かったのはわずか40名、304名の犠牲者をだしました。


◆≪参考資料≫川口 陽之(きよし)氏著 「明石のくに」「垂水郷土史」

Photo

 

明石海峡 歌:水森かおり

あれは塩屋か 須磨の灯か 

私を呼ぶよに 揺れている

風がひゅるひゅる 泣く夜は 

ぬくもり欲しいと 海の泣く

命の綱のこの恋を 

待って背伸びの 待って背伸びの 

明石海峡

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明石海峡   歌:多岐川 舞子

明石海峡  今日も日が暮れて

はぐれ鴎が  ピョロと啼いた

俺を待つなと  言うのなら

なんで教えた  この胸の

切なさ消せない  舞子のおんな

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明石海峡大橋
  歌・歌詞 京光恵

この橋渡れば あなたが待っている

さざ波まぶしい 瀬戸の海

心をつなぐ 二人の架け橋

早く会いたい 早く会いたい その胸に

明石海峡大橋 願い橋



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そして神戸  歌:前川 清

神戸 泣いてどうなるのか 

捨てられた我身が みじめになるだけ

神戸 船の灯うつす 

濁り水の中に 靴を投げ落とす

そしてひとつが 終わり そしてひとつが 生まれ

夢の続き 見せてくれる 相手 捜すのよ

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コメント

めりいさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

明石海峡は、昔から風光明媚なところで有名です。
和歌にも詠まれています。

この辺りは、明治以降、外人が別荘を建てたりしていました。

明石海峡大橋にJRを通す計画もありましたが、中止になりました。

明石海峡大橋は絵になりますね。

こんなにたくさんの歌があったとは驚きです。

前に夜景を写そうとして、見事に失敗しました(^_^;)

明石海峡を詠んだ歌や、歌謡曲もたくさんあるのですね。
私も前川清の歌だけ知っています。

シネマさん
コメントありがとう。

前川清も歌よりバラエティの出演の方が多いですね。

若い方が亡くなると早すぎるといつも思います。

前川清の神戸だけ、知ってます~

前妻の人はもう亡くなりましたね>_<

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