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2016年8月

2016.08.31

国生み淡路島 7/7  伊弉諾神社

国生み淡路島の連載も今回が最後です。

伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、神代の昔に伊弉諾大神・伊弉冉の二神 が、日本国を造られた後に、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、
淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された所がこの場所です。
ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に建てられた伊弉諾神社に祭られました。日本最古の神社と言われています。

地元では、この神社のことを旧町名:一宮町から「いっくさん}と呼んで慕われています。(現在は兵庫県淡路市多賀 多賀の地名は、記紀に記載された時から現在まで伝わってきています)

 

本殿入り口
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本殿
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伊弉諾神社大鳥居
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一直線で中鳥居、本殿まで行きます
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ポケモンは厳禁です
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本殿境内の入り口です
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境内
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ひのわかみやと陽の道しるべ
伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように、東西南北には縁ある神社が配置されていることが記されています。
(クリック拡大)
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夫婦円満の御神木:大楠をお参りに来られる方が多いです
大楠の樹齢は800~900年と言われています
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元は二本の楠でしたがいつのまにか一つの大楠になっています。
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岩楠神社(いわくす 大楠の根元にあります)
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力石(この石で力比べをしました)
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2016.08.28

国生み淡路島 6/7 天浮橋

日本書紀、古事記によれば、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の二神は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となりました。
(下に続く)

天浮島、葦原国、おのころ島地図
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道案内写真
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手前に行くと天浮橋はすぐです、左は葦原国


天浮橋
(あまのうきはし)
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江戸時代の地図には天浮橋と記載されており、本当に川にかかった橋でした。今では、手前側に溝があって水が流れています。


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中央にあります
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囲いの中には、石が二つあります

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西から見ています。
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民家の間に天浮橋はあります
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磤馭盧島神社
おのころ島神社の石碑が榎列小学校の角の交差点にあります。(今では、この漢字表記はほとんど使われません。)

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矢印方向に行くとおのころ島神社があります。



反対側にある灯篭
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〔上からの続き〕
ここからこの二神は、大八島を構成する島々を次の順番で生み出していきました。

1、淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま):淡路島
2、伊予之二名島(いよのふたなのしま):
四国
3、隠伎之三子島(おきのみつごのしま):隠岐島
4、筑紫島(つくしのしま):九州
5、伊伎島(いきのしま):壱岐島
6、津島(つしま):対馬
7、佐度島(さどのしま):佐渡島
8、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):
本州

以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに)と言います。

 

 

 

2016.08.26

国生み淡路島 5/7  葦原国

おのころ島神社から西へ行った所に、日本書紀、古事記に書かれている「天浮島と葦原国」の史跡があります。


おのころ島神社から
約450mで天浮橋、約800mで葦原国
住所:南あわじ市榎列
江戸時代の地図にもこの二つの史跡は記載されています
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左に行くと葦原国
手前に行くと天浮橋


葦原国(あしはらのくに)についての記述
古事記、日本書紀によると、天(あめ)と地(つち)がひらけるはじめ、国土が浮き漂い遊魚が水の上に浮かぶようであった。その中から葦芽(あしかび)のようなものが生じて神となり、国常立尊(くにのとこたちのみこと)ともうしました。・・・・・以下、伊弉諾尊・伊弉冊尊までを神代七代(かみよななよ)と称します。
 このようなことから、葦原国は、古代伝承にもとづく日本国の別の呼名とされています。海辺に葦が繁っていて、その中に五穀豊穣の沃土があるというのです。 

葦原国(あしはらのくに)
大昔、この辺り(三原平野)は入江が入り込み、海で葦が茂っていたと思われます。

上の案内写真にある郵便局の横を西に行くと田んぼの中に小さな茂みがあります。
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田んぼ囲まれた小さな社があり、これが葦原国の始まりの場所です。
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左;葦原国
右:歌碑
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歌碑;千速(ちはや)振る神代の昔あしはらを 

  ひらきそめにし国常跡(くにとこあと)

※国常は、天地創成時に出現する神。混沌として浮遊するものの中から国の土台が出現したことを意味する神である。 






ここから、おのころ島神社の大鳥居が見えます

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2016.08.17

国生み淡路島 4/7 おのころ島神社

おのころ島神社(自凝島神社)は、国生み神話のおのころ島と言われる場所の一つです。ここは、島ではありませんが、昔はこのあたりは、海だったと言われています。

 

淡路島地図
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おのころ島神社の大鳥居
高さ:21.7m  横:31.2m
平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられる。
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凝橋からおのころ島大鳥居Photo





本殿
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八百萬神社
伊弉諾命・伊弉册命の御子神様を奉斎しております。
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鶺鴒石(せきれいいし)
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伊弉諾命・伊弉册命の二神様は、正殿前にあるこの石の上につがいの鶺鴒が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられました。


御神木
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2016.08.16

国生み淡路島3/7 絵島

日本最初の島:おのころ島は、ここ絵島を指すと言われている説もあります。

淡路島の北端高速艇乗り場の近くにあります。
明石海峡大橋がまじかに見えます。

※おのころ島は、漢字だと『自凝島(おのころじま)』と書き「自ずから凝り固まってできた島」という意味です。

淡路島おのころ島地図
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絵島
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頂上に鳥居があります

平清盛が兵庫港築港の際に人柱となった松王丸を弔うために建てられたと言われています。
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昔から歌にも詠まれています(クリック拡大)
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2016.08.15

国生み神話淡路島 2/7 沼島 

日本列島の最初に造られたのはおのころ島だと古事記に書かれていますが、おのころ島は淡路島全体を指す説と淡路島の数か所にここがおのころ島だと言われるところがあります。

今回は、その中の沼島を紹介します。

淡路島地図
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沼島
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国生み神話(クリック拡大)
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伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)の二神
天の浮橋に立って混沌とした大地をかき回して、矛の先から落ちたしずくが島になり、それをおのころ島と言います。
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神を祀った神社
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おのころ島を漢字で書くとこのようになり「自ら固まった」と言う意味です。25





長い階段を登っていくと神を祀った神社があります
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島の西の山頂に、おのころ神社はあります
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上立神岩(かみたてがみいわ)
天の御柱と言われています。
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沼島海岸船着き場(クリック)
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2016.08.03

国生み神話の淡路島 1/7

国生み神話の淡路島

人口 約17万5000人
面積 593k㎡(琵琶湖より少し小さい、シンガポールと同じ位)

≪ 地 図 ≫

 「古事記」や「日本書紀」に書かれている日本列島誕生のロマンあふれる神話は、 淡路島が、最初に造られたと記述されています。
 
人間が、生まれるはるか昔。神々は、天上の世界、高天の原(たかまがはら)に住んでおられ、下界を見て「地上を固め、治めよ」と男神イザナギと女神イザナミに命ぜられた。二人の神は「天の浮橋
(あめのうきはし)」から沼矛(ぬぼこ)で、下界を かきまわし、引き上げた沼矛から落ちた塩が積もって固り「おのころ島(淡路島)」ができ、次いで四国、隠岐の島、九州と島を生み、最後に本州ができました。
(注)沼矛とは、玉で飾った太古の刀

おのころ島の所在については、旧三原町のおのころ島、旧南淡町の沼島、淡路町の絵島、または、淡路島全体がおのころ島であるなど、いろいろの説があります。

おのころ島は、漢字だと『自凝島(おのころじま)と書き「自ずから凝り固まってできた島」という意味です。

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沼島(三原郡南淡町) ≪ 地 図 ≫

国生み神話で最初に出来た島と伝えられています。

上立神岩(かみたてがみいわ)などがあり伝説の島。

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おのころ島神社(三原郡三原町)≪地図≫

イザナギとイザナミを祭神とする。

鳥居の高さ・21.7m、間口・12.7m、柱の直径・3m。

平安神宮、安芸の宮島と並ぶ、日本三大鳥居

神社の西300mには、天と地を結ぶ「天の浮橋」

の遺跡があり、国生み神話ゆかりの神社です。

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絵島

淡路島の北東にあって、昔から風光明媚な所で歌にも読まれています。
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伊弉諾神社(津名郡一宮町)≪地図≫

イザナギ神社と読み地元では「いっくさん」と親しまれている。イザナギとイザナミの二神が祭られています。

日本書記によれば、国生みを終えたイザナギは、国の運営を子供の天照大神(あまてらすおおみかみ)に任せ、この地で余生を送ったと記されています。

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古事記による国生み神話

天の神の命令を受け、イザナギ(男神)・イザナミ(女神)の二神は、天の浮橋に立ち、天つ神から授かった天の沼矛 (ぬぼこ)を指し降ろして潮を「こをろこをろ(カラカラという音)とかき混ぜる。矛を引き上げると、矛先から潮が落ちて固まり、 島となった。おのずから凝り固まったのでオノゴロ島という。二神はこの島へ天降り、天の御柱(みはしら)と八尋殿(やひろどの)を 建て住みました。そして、  淡路の穂の狭別島(さわけしま・淡路島)を筆頭に、伊予の二名島(ふたなのしま・四国)、隠岐の三つ子の島(隠岐島)、 筑紫島(九州)、伊岐島(いきのしま・壱岐)、津島(つしま・対馬)、佐渡島、そして最後に大倭豊秋津島 (おおやまととよあきつしま・本州)を生んだ。これを大八島国(おおやしまくに)という。さらに六島〔吉備児島(きびのこじま)、 小豆島(あずきしま)、大島、女島(ひめしま)、知訶島(ちかのしま)、両児島(ふたごのしま)〕を生む。

(歴史読本 2002年4月号 飯泉〔いいいづみ〕 健司先生の文献より引用)

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