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2016.07.04

玉造稲荷神社

玉造稲荷神社は、大阪城の南にあります。
この辺りは、約5千年前から人々が生活を営み、古代に勾玉を作っていたことからその名が生まれた。聖徳太子のゆかりの地であり、天下人:秀吉の大坂城築城では三の丸ができ、江戸時代は城下町として大坂・政治の中心地として栄えました。


(玉造小学校南:地図左上の拡大表示をクリック:)

 

玉造稲荷神社本殿
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大鳥居
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クリック拡大
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『日本書紀』に「玉作部(たまつくりへ)」の居住地として記されています。
玉造部とは大和朝廷に所属し三種の神器の「曲玉(まがたま)」などの玉製品を作る専門職の人達のことです。
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千利休井戸
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千利休顕彰碑
玉造禰宜町に千利休は屋敷を構えていた。
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お伊勢参りの出発場所であった。神宮まで170kと書かれています。
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近松門左衛門文学碑
近松門左衛門の「曾根崎心中」や「卯月の紅葉」などに玉造稲荷神社が多くの参拝者でにぎわっていたことが描かれています。
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仰向く顔に当る日を  神かざしの玉造
稲荷の宮居ここもまた  伊勢の内外の内平野町
「ひじりめん卯月の紅葉」より

あつき日に貫く汗の玉造 稲荷の宮に迷ふとの
闇は理(ことわり)御仏も 衆生のための親なれば
「曽根崎心中」より

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コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

昔は、相当栄えた場所のようでしたが、
今は、下町と言うだけの場所です。

玉造というのは変わった名前だなと思っていました。

勾玉を作る集団が住んでいた・・・なんですね。

玉を造る・・・そのものですね!

由来を知ると、その地の歴史が見えてきますね。

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

駅名の由来は、この辺りに昔、勾玉を作る集団が住んでいた
からこのあたりを玉作岡と呼んでいたところからきている
ようです。もちろん、玉造神社の名前もここからきています。

大阪より京都の方が馴染みがあるでしょう。

大阪環状線「玉造駅」の名前の所以は、この玉造稲荷神社なのでしょうね。
大阪には、名前は知っていても、行った事がない神社がたくさんあることに気が付きました(笑)

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

玉造からは、玉造温泉連想しますね。
チョット場所が違って、温泉は島根県でした。

いい湯だなぁでチョットいっぱい

玉造温泉はいったことあります!

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