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2016.07.02

豊臣秀頼公 胞衣(えな)神社

大阪城と真田丸の間に玉造神社があって、その中に胞衣神社(えな)があります。


(玉造小学校南:地図左上の拡大表示をクリック:)

 

 

秀頼公と母・淀殿を結ぶ胞衣(えな 卵膜、胎盤など)が祀られています。
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秀頼公は、身の丈約197cmの大男で、豊臣家の後継者としての素養を身につけた人でした。
1607年(秀頼11歳)の時、千姫と結婚(秀忠と淀の妹であるお江の間に生まれた娘)
二条城で接見した徳川家康は、そのどうどうとした容姿を見て徳川家の将来に不安を覚え、豊臣家の滅亡を誓ったと言われています。

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秀頼公奉納鳥居
平成7年1月の阪神淡路大震災で根元が損傷しましたのでこのような形で保存されています。
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社伝によれば垂仁天皇(紀元前12年)時代に創建されたとされています。
大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の戦火で荒廃し、1603(慶長8)年に豊臣秀頼により社殿が再建されましたが、元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失しましたが、その後ふたたび再建されました。豊臣・徳川時代を通て大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされています。

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コメント

>秀頼公は、身の丈約197cmの大男

そんなに大きかったのですか。
家康も真っ青ですね(笑)

聞くところによると、祖母のお市の方が大きかったそうです。
隔世遺伝かな?

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

むちゃくちゃ大きな男だたのですね。
小柄な秀吉の子とは思えません。

残っている絵から想像したらこんな顔になるのでしょう。
しかし、女性から見たら、イケメンにしてほしかった。
戦国武将は、全員イケメンだらけです。

こちらの秀頼の銅像・・・どうも顔が好きになれません(-_-;)

秀頼は、当時としては長身で体格が良かったそうですね。

どうせならもっとイケメンにつくれば良かったのに(笑)

と思ってしまいます(^_^;)

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

有名人になると色んなものが、後世に伝えられるもんですね。

秀頼が197cmもあったとは驚きです。

胎盤って、怖いです>_<

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