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2016年7月

2016.07.04

玉造稲荷神社

玉造稲荷神社は、大阪城の南にあります。
この辺りは、約5千年前から人々が生活を営み、古代に勾玉を作っていたことからその名が生まれた。聖徳太子のゆかりの地であり、天下人:秀吉の大坂城築城では三の丸ができ、江戸時代は城下町として大坂・政治の中心地として栄えました。


(玉造小学校南:地図左上の拡大表示をクリック:)

 

玉造稲荷神社本殿
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大鳥居
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『日本書紀』に「玉作部(たまつくりへ)」の居住地として記されています。
玉造部とは大和朝廷に所属し三種の神器の「曲玉(まがたま)」などの玉製品を作る専門職の人達のことです。
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千利休井戸
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千利休顕彰碑
玉造禰宜町に千利休は屋敷を構えていた。
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お伊勢参りの出発場所であった。神宮まで170kと書かれています。
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近松門左衛門文学碑
近松門左衛門の「曾根崎心中」や「卯月の紅葉」などに玉造稲荷神社が多くの参拝者でにぎわっていたことが描かれています。
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仰向く顔に当る日を  神かざしの玉造
稲荷の宮居ここもまた  伊勢の内外の内平野町
「ひじりめん卯月の紅葉」より

あつき日に貫く汗の玉造 稲荷の宮に迷ふとの
闇は理(ことわり)御仏も 衆生のための親なれば
「曽根崎心中」より

2016.07.02

豊臣秀頼公 胞衣(えな)神社

大阪城と真田丸の間に玉造神社があって、その中に胞衣神社(えな)があります。


(玉造小学校南:地図左上の拡大表示をクリック:)

 

 

秀頼公と母・淀殿を結ぶ胞衣(えな 卵膜、胎盤など)が祀られています。
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秀頼公は、身の丈約197cmの大男で、豊臣家の後継者としての素養を身につけた人でした。
1607年(秀頼11歳)の時、千姫と結婚(秀忠と淀の妹であるお江の間に生まれた娘)
二条城で接見した徳川家康は、そのどうどうとした容姿を見て徳川家の将来に不安を覚え、豊臣家の滅亡を誓ったと言われています。

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秀頼公奉納鳥居
平成7年1月の阪神淡路大震災で根元が損傷しましたのでこのような形で保存されています。
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社伝によれば垂仁天皇(紀元前12年)時代に創建されたとされています。
大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の戦火で荒廃し、1603(慶長8)年に豊臣秀頼により社殿が再建されましたが、元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失しましたが、その後ふたたび再建されました。豊臣・徳川時代を通て大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされています。

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