玉造稲荷神社
玉造稲荷神社は、大阪城の南にあります。
この辺りは、約5千年前から人々が生活を営み、古代に勾玉を作っていたことからその名が生まれた。聖徳太子のゆかりの地であり、天下人:秀吉の大坂城築城では三の丸ができ、江戸時代は城下町として大坂・政治の中心地として栄えました。
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玉造稲荷神社本殿
大鳥居
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『日本書紀』に「玉作部(たまつくりへ)」の居住地として記されています。
玉造部とは大和朝廷に所属し三種の神器の「曲玉(まがたま)」などの玉製品を作る専門職の人達のことです。
千利休井戸
千利休顕彰碑
玉造禰宜町に千利休は屋敷を構えていた。
お伊勢参りの出発場所であった。神宮まで170kと書かれています。
近松門左衛門文学碑
近松門左衛門の「曾根崎心中」や「卯月の紅葉」などに玉造稲荷神社が多くの参拝者でにぎわっていたことが描かれています。
仰向く顔に当る日を 神かざしの玉造
稲荷の宮居ここもまた 伊勢の内外の内平野町
「ひじりめん卯月の紅葉」より
あつき日に貫く汗の玉造 稲荷の宮に迷ふとの
闇は理(ことわり)御仏も 衆生のための親なれば
「曽根崎心中」より