真田幸村が必勝祈願した鎌八幡 (5/5)
空堀町交差点
明星学園の西側の坂を南に向かって登って行くと餌差町交差点に出,右手に鎌八幡があります。
東~餌差町交差点~北へと堀が造られていたと思われます
交差点から東を向いています
交差点から南を向いています。江戸時代の地図ではこの辺りはお寺が多数建っていました。
餌差町交差点から北を向いています。右:明星学園
餌差町交差点から西をむいています。右の大きな木のあるところが鎌八幡です。
交差点の北東の角に六大院があります
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「そなた、国はどこじゃえ」と聞かれ、おつる(子)は国は阿波の徳島で、かかさんに会いたいゆえ、西国(巡礼)していると答えます。
「してして、かかさんの名は?」
おつる「アーイー、お弓と申します」
お弓(母親)は、その子が徳島に残してきた我が子だと気付き、自分が母親だと名乗りたいのですが、子に災難が及ぶと思いそれができません。「野に寝たり、人の軒の下に寝ては叩かれ…」と泣く娘を見て、胸が張り裂ける思いのお弓。そんな彼女を「もしや母親では・・・」と察するおつるを必死でなだめて行かせます。
しかし、お弓は堪えきれなくなり、泣きながら娘を追って走り出します。
哀れなおつる(子)と、我が子を思うお弓(母親)の心情に、誰しも思わず涙してしまいます。
真田丸の中にお寺があったことが、江戸時代の地図に載っています。その中の一つ心眼寺には、この地に出城があったことを記す碑と真田幸村の墓があります。今回は、その心眼寺について紹介します。