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2016.05.08

備中松山城 武家屋敷 3/5

現在の高梁市の中心地です
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武家屋敷の地図(クリック拡大)
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御根小屋とは、政務の行われた場所、城主が生活をする館です。跡地には、高梁高校が建っています。

紺屋川の左側は城内で、右は城外です。

紺屋川
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お城のすぐ下が武家屋敷通りです
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旧埴原家(はいばらけ)
江戸時代中期から後期にかけて、120石~150石取りの近習役や番頭役などを務めた武士の住宅。
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旧折井家
江戸時代後期に建てられたもので、160石の馬廻り役を務めた武士が住んでいました。母屋は、長屋門からなり、裏には、中庭、池、庭石などが配置されています。
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一家団欒
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離れには資料館があります
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元役所の門を移築したものです
(個人の家の門として使われています)
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(クリック拡大)
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武家屋敷への地図は こちらから

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

高梁は、見所の多い街です。

あまり開発されずに江戸時代後期の雰囲気が
多く残っています。
正装した一家の雰囲気がいいです。

美しい街並みですね。

こういうところなら、女性一人でも安心して歩けそうです。

屋敷内に蝋人形があると、当時の暮らしぶりがリアルに浮かんできますね。

めりいさん
訪問とコメントありがとう。

高梁も、もう行っておられましたか。

高梁の町は、見どころいっぱいです。

わずかな記事ですが、少しは、こんなところだったのだと
思っていただけるといいのですが。

私は頼久寺には行きましたが、時間がなくて武家屋敷はパスしました。
それが今も心残りです。
ラメールさんの記事を見て、行ったつもりになります(笑)

シネマさん
訪問とコメントありがとう。

玄関の人形は本物の人が挨拶したのかと思いました。

江戸時代終わり頃の建物ですが、昭和を連想します。

武士の格が違うと家の大きさも違いました。

人形がリアルですね~

武家屋敷いってみたいです!

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