真田幸村蟄居の地1/4 蓮華定院
1567年(永禄10)、武田氏に仕える信濃上田城主真田昌幸に次男が誕生しました。これが後の真田幸村(信繁)です。
1600年(慶長5)9月関ヶ原の戦いで、幸村は、父:昌幸と共に西軍に加わり、上田城で徳川秀忠軍の関ヶ原行きを防止するも、西軍が敗退したため、当然家康より死罪に処せられるところ、東軍についた兄信幸の嘆願により、死罪を免れました。
「真田昌幸と子幸村に、所領没収ならびに高野山蟄居を命ずる」
同年10月、真田家の菩提寺:高野山蓮華定院に身を寄せました。昌幸53歳、幸村33歳の時でした。
(九度山町発行パンフレットより)
蓮華定院
当時の院は、江戸時代に消失しましたが、当時のままの姿で再建されました。院内には、上段の間があって、この部屋を真田親子が使ったようです。遺品が展示され公開されています。
この壺に焼酎を入れてください。今切らしているのならついでの時にでもお願いします。難しいかもしれませんが、壺の口に詰め物をして外れないようにひもでくくってください。知らせがありしだい取りに行きます。
つまらないものですが、ゆかたを一領差し上げます。
焼酎の件、くれぐれも頼みます
信繁(好白)
左京殿(兄信之の家臣か)
兄信之から蓮花定院への書状
(蓮華を蓮花と書いています)
真田家の墓があります
右 信之公(幸村の兄)
(クリック拡大)
左 信政公(信之の息子)
蓮華定院の精進料理
こうやくん
蓮華定院の場所は
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以前高野山に行った時、蓮華定院の外側から写真を撮っただけで、中には入りませんでした。
ラ・メールさんの写真で、中の様子やお墓など見させてもらいました。
精進料理もお召し上がりになったのですね。
これは、食べてみたいな~
投稿: めりい | 2015.12.27 22:13
ラメールさん、もう来年の記事のネタがばっちりですね!
私は当分、真田ゆかりの地には行けそうにないので、よろしくお願いしますm(__)m
今年は花燃ゆの史跡巡りを頑張り過ぎたので、受験シーズンが終わるで少しお休みします(#^.^#)
投稿: しずか | 2015.12.24 22:41