徳川秀忠本陣 雄勝山(大阪夏の陣11)
岡山口では、徳川側は先鋒:前田利常ら、二番手:井伊直孝ら約28000、その後方に秀忠の本隊23000が配置された。豊臣方は、大野治房ら4600が攻めこんでいくが、徳川方は、力づくで持ちこたえ、井伊軍などの援軍もあって豊臣方を撃退していく。豊臣方は、秀頼の出馬を待ったが、淀殿の説得に手間取り、秀頼が出馬したころには、秀忠本陣に突撃した豊臣軍は撃退されていた。そして、午後3時ころ、殿を務めていた毛利勝永軍も城内に総退却しました。
徳川軍本陣図
秀忠軍は、岡山の地に本陣を構えました。
(大阪市生野区勝山北3)
そこは、古墳で小高い岡になっています。囲いがされていて、入ることはできません。
大阪城落城の時、ここで戦勝の祝いがなされたことから、雄勝山(おかちやま)と呼ばれるようになりました。
大阪夏の陣は、6月2日(新暦)道明寺・誉田合戦(ごんだ)合戦から始まり、6月3日(新暦)正午に開戦、午後3時に大阪勢が総崩れし大阪城に撤退、午後4時ごろに大阪城炎上という短時間で終結しました。
雄勝山の地図は こちらから
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シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。
愛情いっぱい受けている分身さまは幸せものですね。
母として当然の気持ちですね。
投稿: ラメール | 2015.08.20 02:05
シネマも絶対分身をいかせたくないです~
せっかく生まれてきたのにね~
投稿: シネマ大好き娘 | 2015.08.19 04:37
めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。
母をとるのか一軍の将としての立場を重んずるのか、
ここは、泣いて母を捨てないと秀頼をしたってついてきた、
豊臣一門を敗軍にしてしまうでしょう。
戦いは、こういう非情な所がありますね。
投稿: ラメール | 2015.08.18 23:54
>秀頼の出馬を待ったが、淀殿の説得に手間取り
秀頼の出馬が勝敗の大きなポイントだったようですが、淀殿はなかなか首を縦には振らなかった・・
でも母親として、戦いの場には行かせたくなかった、その気持分かります。
投稿: めりい | 2015.08.18 22:04
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
もう行かれていましたか。
天王寺→雄勝山までは、けっこうありますよ。
歴女となれば、大阪の繁華街北や南に行くことも
ないんですね。
投稿: ラメール | 2015.08.18 11:15
御勝山古墳!ここも以前行きました。
四天王寺からてくてく歩いていって覚えがあります。
大阪は史跡めぐりしかしていない気がします(#^.^#)
投稿: しずか | 2015.08.18 11:03