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2015.08.18

徳川秀忠本陣 雄勝山(大阪夏の陣11)

岡山口では、徳川側は先鋒:前田利常ら、二番手:井伊直孝ら約28000、その後方に秀忠の本隊23000が配置された。豊臣方は、大野治房ら4600が攻めこんでいくが、徳川方は、力づくで持ちこたえ、井伊軍などの援軍もあって豊臣方を撃退していく。豊臣方は、秀頼の出馬を待ったが、淀殿の説得に手間取り、秀頼が出馬したころには、秀忠本陣に突撃した豊臣軍は撃退されていた。そして、午後3時ころ、殿を務めていた毛利勝永軍も城内に総退却しました。

Photo_5

徳川軍本陣図
3

秀忠軍は、岡山の地に本陣を構えました。
(大阪市生野区勝山北3)

そこは、古墳で小高い岡になっています。囲いがされていて、入ることはできません。
Photo


4

古墳の頂上に秀忠軍は、本陣を構えました。
Photo_2


Photo_4

大阪城落城の時、ここで戦勝の祝いがなされたことから、雄勝山(おかちやま)と呼ばれるようになりました。

大阪夏の陣は、6月2日(新暦)道明寺・誉田合戦(ごんだ)合戦から始まり、6月3日(新暦)正午に開戦、午後3時に大阪勢が総崩れし大阪城に撤退、午後4時ごろに大阪城炎上という短時間で終結しました。


雄勝山の地図は こちらから

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

愛情いっぱい受けている分身さまは幸せものですね。

母として当然の気持ちですね。

シネマも絶対分身をいかせたくないです~

せっかく生まれてきたのにね~

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

母をとるのか一軍の将としての立場を重んずるのか、

ここは、泣いて母を捨てないと秀頼をしたってついてきた、
豊臣一門を敗軍にしてしまうでしょう。

戦いは、こういう非情な所がありますね。

>秀頼の出馬を待ったが、淀殿の説得に手間取り

秀頼の出馬が勝敗の大きなポイントだったようですが、淀殿はなかなか首を縦には振らなかった・・

でも母親として、戦いの場には行かせたくなかった、その気持分かります。

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

もう行かれていましたか。
天王寺→雄勝山までは、けっこうありますよ。

歴女となれば、大阪の繁華街北や南に行くことも
ないんですね。

御勝山古墳!ここも以前行きました。

四天王寺からてくてく歩いていって覚えがあります。

大阪は史跡めぐりしかしていない気がします(#^.^#)

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