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2015.07.09

藤堂高虎家臣墓 常光寺(大阪夏の陣8)

近鉄八尾駅近くの常光寺周辺は、豊臣方長宗我部軍と徳川方藤堂高虎軍が激突した場所です。

徳川方の藤堂高虎が常光寺で敵方の首を並べ首実験をしたと言われ、首の置かれた板は、後に天井の板として使われました。その板には、血痕がついていたため「血天井」と言われています。また、境内には、戦死した藤堂家の戦死者の墓があります。

大阪夏の陣図
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常光寺(図3)
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本堂
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首実験
常光寺本堂北にある住職居間の廊下に、敵方の首を並べて首実験をしました。
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後に、首を並べた板を天井板として使用、その板には、おびただしい血がついていたため「血天井」と言われています。
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寺裏には、家の家臣の墓があります。
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武将級の墓
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藤堂高虎は、
1556(弘治2)年に近江国(滋賀県)で生まれ、浅井長政に仕える。
1576(天正4)年に信長の重臣羽柴秀吉の弟・秀長に300石で仕える。秀長のもとでは中国攻め、賤ヶ岳の戦いなどに従軍する。
豊臣氏の家臣団が武断派、文治派に分裂すると、武断派として徳川家康側につく。関ヶ原合戦では、徳川方として活躍、これらの軍功により家康から宇和島領を含む今治20万石に加増されている。
1614
(慶長19)年の冬の陣、翌年の大坂夏の陣で、徳川方として参戦し、自ら河内方面の先鋒を志願して、八尾において豊臣方の長宗我部盛親隊と戦う(八尾の戦い)。この戦いでは長宗我部軍の猛攻にあって、600人余りの死傷者を出しているが、戦後、その功績により32万石に加増されました。

 

常光寺付近は商店街です
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八尾は、河内音頭の発祥地で、その碑が常光寺境内に建っています。
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八尾市役所にある河内音頭像
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常光寺への地図は  こちらから
大阪府八尾市本町

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コメント

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

400年も前の話ですから、血の跡は、わかりませんでした。
しかし、藤堂家の家臣のお墓があるなど、血にまつわる
話が本当だと思えます。

今でも内戦のある国がありますが、400年前は、
この国も日本人同士が殺し合いをしていたのです。

アチラコチラに「血天井」がありますが、中には本当かな?と思うような所もあります。

でも、この常光寺は本物ですね。

廊下に首級を並べた・・リアルです(-_-;)

それにしても藤堂勢は600人余りの犠牲者がでたのですか。
長宗我部勢は強かったのですね。

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

殺し合いの場では、平和な時代では、考えつかないことが
行われるようです。

血のついた天井の下で生活するなんて考えられませんが、
当時としては、上に置いて供養したと言うことなんでしょう。

首実験の仕方が怖過ぎます(-_-;)

誰の首なんて、本当にわかったのでしょうかね~

血のついたものを天井にして供養するという当時の考えが

私にはまだ理解できません。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

市役所に河内音頭の像を置くほど、八尾市は、
河内音頭が自慢なんでしょう。

盆踊りの季節がきました。
四国でもこの音頭が流れますか。

市役所に音頭像~おされですね!

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