天王寺・岡山合戦(大阪夏の陣3)
6月3日(旧暦5月7日)、豊臣側は最後の決戦に備え、真田信繁、毛利勝永、大野治長らが、現在の大阪市阿倍野区から平野区にかけて迎撃態勢を構築しました。攻める徳川側は、大和路勢を茶臼山方面に配置し、先鋒を松平忠直勢が展開、天王寺口は本多忠朝ら16200、その後方に徳川家康が本陣を置き、岡山口は前田利常らが前線、その後方に徳川秀忠が本陣を置きました。
正午ごろに天王寺・岡山口合戦が始まり、これが戦国の世の最後の戦いとなりました。始め優勢だった豊臣側も、兵力に勝る徳川側に押され、午後3時頃に壊滅、大阪城内に総退去しました。
徳川軍は城内に入り、深夜大阪城は陥落しました。
翌日(6月4日)、豊臣秀頼は淀殿らとともに山里丸で自害しました。
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