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2015.05.01

藤原惺窩の出生地

今年も早くも5月になり、正月休みからゴールデンウイークに一足飛びの感じです。

ブログもネタ切れで休んでいましたが、何かないかと探して、黒田官兵衛の三木合戦の史跡を訪ねていたときに見つけた藤原惺窩)せいか)の出生地を記事にしました。

藤原惺窩は、近世儒学(朱子学)の開祖と言われ、忠、孝、義を基本として礼節を尊び大義名分を大切にした学説で、門弟の林羅山によって徳川幕府の官学として継承されました。そして、わが国の道徳、思想形成の上に大きく影響を与えました。

 

藤原惺窩出生地(兵庫県三木市細川町桃津)
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藤原惺窩像
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1561(永禄4)年に冷泉参議藤原為純(ためずみ)の第三子としてこの地に生まれました。7、8歳の頃、禅僧として修業中、父為純は、三木城主:別所長治の急襲を受け討死しました。惺窩は、京都に逃れ相国寺に入りました。18歳の時です。

その後、研鑽に励み、天下に認められるところまでたどり着きました。徳川家康に招から、治国の道を説き、家康から2000石の高禄で招かれましたが学問の自由を守って、洛北市原に山荘を構え、学問にはげみました。1619(元和5)年に59歳の生涯を終えました。

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生誕地案内板

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藤原惺窩生誕地の地図は こちらから
(兵庫県三木市細川町桃津)

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コメント

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

藤原惺窩は、言われるように聞いたことのある名前でしたが、
ほとんどどんな人か知りませんでした。

孫に教える前に自分ですね、それを言う前に私に、学問を
するとはこう言うことだと言い聞かせています。
しかし、もう遅いですね。

藤原惺窩って、学校で習いましたね。
名前は知っているけど、何をした人なのか、すっかり忘れていました。

家康の誘いを断って、生涯学問に励んだのですか。
爪の垢を煎じて孫に飲ませたいです(笑)

シネマさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。


藤原惺窩は、現在の道徳の基礎を造った人のようです。
この人が近くの出身者とは知りませんでした。

5連休、どこに行っても人人人です。
家の周りをウワーキングするくらいで、何も予定はありません。
働いてるお二人は、久しぶりの大型休暇を楽しんでください。

藤原惺窩・・・この人については知りませんでした。

よく見つけられましたね。

歴史を追っていると、意外な人に辿り着くということも

醍醐味の一つですね。

楽しいGWをお過ごしください。

今日から5連休~

映画と外食を楽しみますね~

ぜぜこがないので、遠出はできません~

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