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2015.05.04

藤原惺窩と冷泉家

藤原惺窩は、冷泉家の出身です。

冷泉家は、関白藤原道長(966年生 平安中期の公家)の第6子:長家を祖としています。歌道の名門で平安時代末頃の俊成(としなり)は千載集(せんざいしゅう)を著し、その功により細川の庄(三木市細川町)を朝廷より賜りました。

為家(鎌倉中期 1198年生)の死後、長男:為氏は二条家を、次男:為教は京極家を、
異母弟:為相(ためすけ)は、冷泉家を興しました。

この時、為氏と為相の間で細川の庄の領有をめぐって相続争いが起こり、為相の母:阿仏尼は鎌倉幕府に訴え、関東に下り、訴訟の結果、冷泉家の領有となりました。その時の紀行文が「十六夜日記」です。

室町時代中頃、故あって上冷泉家と下冷泉家に別れ、細川の庄は、下冷泉家に引き継がれました。

やがて、応仁の乱〔1467(応仁元)年~〕により京都が焼け野原となったため、下冷泉家は、この細川の庄に住むようになり、時折、御所に伺いました。そして、惺窩は、1561(永禄4)年にこの地で生まれます。

1578(天正6)年、三木城主:別所長治の不意打ちを受け、父:為純と兄:為勝は討死して下冷泉家は廃絶しますが、惺窩の子:為景は、御光明天皇より下冷泉家の再興を許され公家として代々朝廷に仕えました。

細川町に掛かる冷泉橋
4

1578(天正6)年、三木城主:別所長治に攻められ父:為純と長子:為勝、加勢した依藤太郎左衛門(この辺りを支配していた土豪)の自刃の碑があります。

兄:為勝と依藤太郎左衛門自刃の碑
3


道路に案内板があります
Photo_2



自刃の碑の地図は こちらから
(やしろ東条GCに西)

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コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

そう言えば、冷泉家ありましたね。
八重の桜で、同志社に行ったときは、それほど関心は
なかったですが、今となっては、一度行ってみたいです。

冷泉家宅は、京都の同志社大学今出川キャンパスの前に残っていますね。
いつか見学できればと思っています。

めりいさん&シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

十六夜日記は、高校生の頃に学んだと思いますが、
それがどんな内容だったかは、今回の藤原惺窩史跡訪問で
初めてしりました。
60年も前のことを、やっと知ることができました。


シネマも、ラブストーリだと思ってた~

今日は猫カフェいってきます~~

「十六夜日記」って、源氏物語のようなラブストーリーかと思ってたら、違うのですね(笑)

あら~~この年になって、初めて知りました。

教えて頂いて、ありがとうございました

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