将軍足利義教の首塚 安国寺(兵庫県加東市)
三木合戦の史跡探索の途中で、見つけた史跡です。
ここ安国寺に室町時代の六代将軍足利義教(よしのり 1394~1441)の首が弔われた史跡があります。
義教の首塚は、このお寺の裏手にあります。
足利義教公首塚
1441(嘉吉元)年6月24日、播磨守護赤松満祐は、京の自宅に将軍義教を招き、祝宴の最中に義教を殺害しました。世に言う「嘉吉の乱(かきつ)」です。満祐は、義教の首を自国の播磨へ持ち帰り、ここ安国寺で盛大に法要を行いました。首は、京都に戻され供養されたと言われています。
7月11日、討伐軍によって赤松軍は、滅亡しました。
義教は、僧でしたが、6代将軍を選ぶ時にくじ引きで選ばれたので、「クジ引き将軍」と言われ、政治は、強権で行われ、「悪御所」と言われるほどの悪行政治を行ったようです。この政治のやり方に不満を持った赤松氏によって殺害されたと言われています。
安国寺とは、南北朝時代に足利尊氏が戦乱による死者の鎮魂のために国ごとに建てられた寺院で、ここは「播磨安国寺」と呼ばれています。
安国寺(裏手に義教公首塚があります)
安国寺の地図は こちらから