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2015.03.19

瀬戸内海マリンビューの旅 広島城

瀬戸内海マリンビューの旅も今回が最後です。訪問先は、毛利家の居城:広島城
原爆ドームの北側にあります


1589(天正17)年、毛利輝元は、太田川河口に平城(広島城)をつくりました。

しかし、関ヶ原の戦いで西軍についたため、この城を明け渡し、120万石から29万石に減らされ萩にうつりました。

そのあとに、広島城には、1600(慶長5)年、勝者側の福島正則が、芸備49万石を領して、翌年に入城しました。

広島城天守閣
天守閣

毛利元就(もとなり)の孫:輝元は1588(天正16)年に秀吉の案内で大阪城の天守閣に登り、城下町:大阪の繁栄を見て、輝元の居城:吉田郡山城(広島県安芸高田市吉田町吉田)にあった城に代わる新城の建設を痛感して、この城を築きました。


広島城表門
二の丸門

二の丸



毛利元就が子供に送った手紙:三子教訓状
「元就の三矢の教え」の思想がこの、息子達に送った手紙の中に書かれています。

晩年の元就が死の間際に、隆元・元春・隆景の3人を枕許に呼び出し、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げた。三子教訓状
上が元就の自筆の手紙で下がその口語文です。

Photo

東門

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護国神社
Photo_3


日清戦争の時は、ここに広島大本営が置かれました。
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地下通信室入口
爆心地から700m、ここから原爆が投下された町の様子が発信されたのが第一報だったようです。

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広島城の地図は こちらから

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コメント

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

ビル1階全部がお好み焼き店の階に入ったので
食べようと思って、「もんじゃ焼き」ありますかと
聞いたら不思議そうにないと言われました。

あとで考えたら「もんじゃ焼き」は東京でした。
広島は、「広島焼き」でした。

焼き牡蛎食べました。

お好み焼きは、食べなかったの?!

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

細かく見ているというよりあまり見る所がありませんでした。

全ては、原爆で無くなってしまったようです。

地下通信室は、まぬがれて、ここから原爆で壊滅した広島の
様子を全国に発信したようです。

広島の町をみるとその逞しさに目をみはります。

今年は、「広島頑張れ!!!!」

さすがラメールさんの記事は詳しいですね!
私はざっと広島城を見ただけで、このように細かくは見ていませんでした。
改めて広島の旅をしたくなりましたよ(^_-)

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