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2015年3月

2015.03.29

竹田城 城下町(兵庫県)

竹田城は、標高353.7Mの山頂にあって麓は、城下町になっています。城主の居館があって、通常はこの館に住んでいます。

城下町地図(クリック)
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JR竹田駅前の道路が旧街道で古い街並みが残っています。大正年間までは、旅館、料理屋、茶屋などの商店が軒を並べ、竹田家具は有名でしたが、今では数も少なくなりました。また、駅西側の寺町通りは、静かな雰囲気で大正年間の繁栄を思い起こさせます。


竹田城から見た城下町
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竹田駅
山頂に城があります
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竹田駅を出た列車
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街並み
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レストラン
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えびす神社
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駅西側の寺町通り
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善證寺
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常光寺
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初代城主:太田垣光景公の墓(常光寺)
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勝賢寺
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法樹寺

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赤松広秀の墓(法樹寺)
寺裏に居館跡があります
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月塚
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花塚
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駅裏登山道(法樹寺横 約800m40分)
ここから、城主は城に登っていたようです
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恋人の聖地(駅前)
(2012年に雲海に包まれた竹田城がプロポーズの場所にふさわしいと認定されました。
「恋人の聖地プロジェクト」では、2006年4月1日より、全国の観光地域の中からプロポーズにふさわしいロマンティックなスポットを「恋人の聖地」として選定しています。)

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もう一度、天空の城:竹田城をご覧ください
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竹田城の詳細地図は こちらから






2015.03.26

天空に浮かぶ竹田城(兵庫県)

雲海に浮かぶ天空の城として人気の竹田城〔別名:虎臥(とらふす)城〕に行ってきました。平日なのにけっこうな人の数でした。

兵庫県朝来市和田山町竹田

竹田城は(クリック)
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標高353.7mの山頂に建てられ、南北約400m、東西約100mの規模です。

麓の城下町から見た竹田城
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1443(嘉吉3)年に但馬(兵庫県北西部)の守護大名:山名宗全が、赤松氏(兵庫県南西部)に対する最前線として築造されました。そして、太田垣氏が7代にわたって城主を務めましたが、



秀吉の但馬征伐で1580(天正8)年に落城して、秀吉配下の桑山氏が城主となる。



1585(天正13)年赤松広秀が城主となって現在の石積の城が整備されたと言われています。

1600(慶長5)年、赤松広秀が西軍に属しのちに自刃して、廃城となりました。


城主について
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遺構
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竹田城周辺では、秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生して、城が雲海で包まれた様子は、天空に浮かぶ城で、この幻想的な風景が人気になっていて日本のマチピュツと言われています。
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(参考資料:情報館「天空の城」パンフレット)

「天空の城」撮影は、南側にある山から写します

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大手門石垣
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北千畳
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北から南千畳を望む
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北側の景色
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二の丸から天守台
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天守台
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南側 城下町
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タクシー駐車場

一般車の駐車場は、もう少し奥の「山城の郷」にあります
山城の郷からタクシー駐車場まで1.4K 約20分
タクシー駐車場から城入口まで0.8K約20分

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ここから登りはじめます
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タクシー駐車場と城入口(大手門)の中間点
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観覧料(大人:500円)
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もう一度、名城:竹田城をご覧になってください

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朝来市HPでライブカメラで今の竹田城を見ることができます。
ライブカメラ

 

 

竹田城への地図は こちらから

2015.03.21

春霞 明石海峡大橋0317

3月17日、春の訪れを告げる春霞が明石海峡にかかりました。

午前11時
視界Oです。
船の航行を告げる汽笛が鳴っています。
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13時
少し晴れてきました
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14時
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晴れた日は、このように明石海峡大橋がよく見えます
1月の画像です
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2015.03.19

瀬戸内海マリンビューの旅 広島城

瀬戸内海マリンビューの旅も今回が最後です。訪問先は、毛利家の居城:広島城
原爆ドームの北側にあります


1589(天正17)年、毛利輝元は、太田川河口に平城(広島城)をつくりました。

しかし、関ヶ原の戦いで西軍についたため、この城を明け渡し、120万石から29万石に減らされ萩にうつりました。

そのあとに、広島城には、1600(慶長5)年、勝者側の福島正則が、芸備49万石を領して、翌年に入城しました。

広島城天守閣
天守閣

毛利元就(もとなり)の孫:輝元は1588(天正16)年に秀吉の案内で大阪城の天守閣に登り、城下町:大阪の繁栄を見て、輝元の居城:吉田郡山城(広島県安芸高田市吉田町吉田)にあった城に代わる新城の建設を痛感して、この城を築きました。


広島城表門
二の丸門

二の丸



毛利元就が子供に送った手紙:三子教訓状
「元就の三矢の教え」の思想がこの、息子達に送った手紙の中に書かれています。

晩年の元就が死の間際に、隆元・元春・隆景の3人を枕許に呼び出し、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げた。三子教訓状
上が元就の自筆の手紙で下がその口語文です。

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東門

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護国神社
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日清戦争の時は、ここに広島大本営が置かれました。
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地下通信室入口
爆心地から700m、ここから原爆が投下された町の様子が発信されたのが第一報だったようです。

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広島城の地図は こちらから

2015.03.15

瀬戸内マリンビューの旅 広島 縮景園

広島で二番目に訪問したところが縮景園(しゅくけいえん)です。広島城の東700mのところにあります。原爆によって壊滅状態になりましたが、その後、整備して復元されました。

ここは、広島藩主別邸の庭園です。
藩主:浅野長晟(ながあきら)が入国した翌年(1620 元和6)に、別邸の庭として造られました。

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池に写った景色と一緒に鑑賞してください。
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悠々亭から見た景色
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有年場
藩主が田植えをして、その年の豊作を祈願したと言われています。
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調馬場
藩主の馬の調教、訓練をした場所。
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縮景園への地図は こちらから

2015.03.12

瀬戸内マリンビューの旅 広島平和記念公園

瀬戸内マリンビューの旅の締めくくりは、広島です。


原爆ドーム
ドーム

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1945年8月6日AM8時15分
   広島の中心部に原爆が投下されました

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爆心地
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1996年 
  原爆ドームは世界遺産に登録されました。

原爆ドームの前身は、広島県産業奨励館

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1954年、原爆ドーム・慰霊碑・資料館などの公園は、当時の若手建築家、丹下健三の設計により完成しました。

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平和記念公園は被爆前は、中島地区と呼ばれ幕末から明治・大正にかけて市内有数の繁華街として栄えた歴史のある街でした。

日本ほど被ばくした国はありません。広島、長崎、第5福竜丸、福島と何十万の人が死にながら、まだどうすることもできません。人類が発明したその怪物に振り回されています。

「Under Control」は、まだまだです。

この怪物が暴れださないように祈るしかありません。


広島平和記念公園の詳細地図は こちら

2015.03.09

瀬戸内マリンビューの旅 呉  平清盛

瀬戸内列車の旅も終わりに近づいてきました。到着したのは、呉です。ここで、平清盛が切り開いた「音戸の瀬戸」訪問です。

瀬戸内マリ―ビューの旅
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時間が無いし、歩いて日招像まで行くのは無理なので、タクシーを使いました。渡船乗り場近くのタクシーに、行き先を言って、どのくらいの値段か聞いてみると、「3000円で、十分お客さんが満足できるように周ります」と言われたので、乗車することにしました。

音頭の瀬戸
平安時代末期に権勢をふるった平清盛が日宋貿易の航路として1167(保安2)年に開削し工事中に、西に太陽が沈もうとした夕日を金の扇で招き返し、一日で切り開いたという伝説があります。

清塚盛
清盛は、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めてこの工事を完成させました。その功績を称えて、1184(寿永3)年に建立されました。
上に通る橋は、音頭大橋  向うに見える橋は新音頭大橋
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音頭渡船(おんどとせん)
1961(昭和36)年に音頭大橋ができましたが、江戸時代から続いた音頭渡船は、使いやすいために残され、現在も運行しています。

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幅120mと日本一短い定期航路
運賃は 大人70円 自転車込90円
50人乗りですが、一人乗れば出航します


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音頭大橋
(右手に音戸渡船があります)
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新音頭大橋
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日招像
沈むとした夕陽を金の扇で招き返して工事を一日で終えたと言う伝説があります。
音頭の瀬戸開削800周年を記念して、1967(昭和42)年に建てられました。
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平清盛は、このように夕陽が沈んでいた時にその夕陽を招き返しました。
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吉川英治文学碑
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吉川氏が「新平家物語」の史跡取材のため音戸の瀬戸を訪れた時、対岸の清盛塚に向かって、「君よ、今昔の感如何」と言われたのを記念して碑が建立された。
右の石にその言葉が刻まれています。


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二重の塔
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周り終わって呉駅に着いたらもう真っ暗でした。タクシー使ったから短時間で、行きたい所全部廻れたし、説明もしてもらえたので、タクシー代3000円は安かったです。

呉駅
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広島まで行って泊まりました。

瀬戸内海マリンビューの旅はこれで終了です。




清盛は、日宋貿易に相当力を入れていたようで、同じような工事を都を移そうとした福原でもやっていました。以下は、参考記事です。




大和田の泊り
平清盛は、音頭の瀬戸工事の前の1161(応保元)年に、日宋貿易を活発に行うために、都を移そうとした福原(兵庫県神戸市)の大和田の泊まりの大改修を行い、巨石にお経を刻んで沈めました。その島が「経ケ島」と言われています。

大和田の泊り跡から出てきた石

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大和田橋
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清盛の雪見の御所跡(兵庫県神戸市兵庫区)近くに日招像があります
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音頭瀬戸への地図は こちらから

2015.03.07

瀬戸内マリンビューの旅 竹原 頼山陽

1650(慶安3)年、広島藩ではじめて入浜塩田が開発され、全国的に有名になり、酒造業とともに竹原の発展のもとになりました。そして、学問を尊ぶ気風を生み、頼山陽、竹鶴政孝、池田勇人などの著名人を輩出しました。

今回は、頼山陽の史跡を紹介します。

頼山陽肖像画(歴史民俗資料館)
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1780(安永9)年~1832(天保3)年 享年53歳
江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。
(参考資料:Wikipedia)

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頼山陽広場
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鞭声粛々 夜河をわたる
暁にみる 千兵の大牙を擁するを 
遺恨十年 一剣を磨き 
流星光底 長蛇を逸す 

「べんせいじゅくしゅく~ よるかわをわたる」
上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの場面を詠んだ山陽作の有名な漢詩文「川中島」です。

 

 
山陽の祖父:頼惟清宅
紺屋を営み、その子:春水(山陽の父)は、広島藩の儒者となり、第二子:春風は、医者となって竹原の家を継ぎました。その家です。
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頼山陽は文政7年(1824)45歳の時の詩

昔、我が家で読書をしながら見ていた山だが、
窓からみえる山の色は昔のままだ
私は京都の色にそまり、ひげ面が恥ずかしいが、
帰って来て山を見れば、昔のままの高くそびえたったている


頼山陽広場への地図は こちらから

2015.03.05

瀬戸内マリンビューの旅  竹原は安芸の小京都

JRパンフレットで、「安芸の小京都」の言葉にひかれ、竹原に行くことにしました。古い雰囲気が残っている所には、引かれます。

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竹原は、平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれました。そして今は、江戸時代後期に製塩や酒造業で栄えた街並みがそのまま残っています。
(参考資料:竹原観光パンフレットより)

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一歩町に踏み入るとそこは、江戸時代後期の栄えた街並みです。
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笠井邸
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メインストリート
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初代郵便局跡
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住吉神社
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地蔵尊
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長生寺
SバンクのCMに出てくる所はここか???
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出雲社
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竹原市観光協会HPは こちらから


竹原町並み保存地区は こちらから

2015.03.03

瀬戸内マリンビューの旅 竹原市  日本ウイスキーの父の故郷

三原から広島まで、瀬戸内マリンビューの旅を楽しもうと列車に乗り、まずは、安芸の小京都と言われる竹原に行きました。そこで、おもいがけず、NHK朝ドラ「マッサン」に出てくる主人公:日本のウイスキーの父:竹鶴政孝に出会うことができました。

朝ドラ「マッサン」は、 ニッカウヰスキーの創業者である「日本ウイスキーの父」とも言われている竹鶴政孝氏とリタ夫人の物語です。

 

瀬戸内海マリンビューは、三原~竹原~呉~広島と瀬戸内海の近くを走って、車窓から多島美を楽しめます。

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出発駅:三原は、小早川隆景公の城下町です。
小早川隆景は、毛利元就の3男で、兄弟に同母兄の毛利隆元・吉川元春などがいる。豊臣秀吉の信頼は厚く、事実上毛利家の統率者であった。
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竹鶴政孝氏が広島県竹原の出身であるのを知ったのは、竹原駅を降りた時でした。

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列車を見るとマッサンとリタが描かれていました。

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ドラマは見ていませんが、評判のいいドラマで北海道での出来事かと思っていましたが、原点はここ:竹原にありました。

 

竹原駅
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小京都の古い街並みを見ようと思っていましたが、もう一つ見る楽しみが増えました。まずは、マッサンのことを最初に記事にしました。

 

商店街には、こんな旗が並んでいます。
ドラマを機会にした町おこしです。

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古い街並みの残る一画に資料館があってそこに竹鶴政孝さんの資料を見ることができます。

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1894(明治27)年、竹鶴家の四男五女の三男として生まれる
竹鶴家は、製塩業と酒造業を営んでいました。

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1918(大正7 24歳)年、スコットランドに留学して、ウイスキー造りを学び、そこで出会ったジェシー・ロバータ(リタ)と出会い結婚する。

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1923(大正12 29歳)年、寿屋(サントリー)入社
1934(昭和9 40歳)年、北海道余市に移り、大日本果汁株式会社(ニッカウヰスキー)を創業する

旧制忠海中学の後輩に池田勇人元総理大臣がいました。
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竹鶴政孝氏の略歴(クリック)
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毎晩、ハイニッカのボトルを一本あけ、85歳で死亡

 

竹原市の地図は こちらから

2015.03.01

福山城(広島県福山市)

福山駅の北側に「福山城」があります。あまり馴染みのない城なので入ってみました。

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福山城(広島県福山市)
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この城は、江戸時代初期の1622(元和8)年に築造されたもっとも新しい城です。

福島正則が備後、安芸の二国を治めていましたが、武家諸法度違反(勝手に城の修理をした)により改易となり、徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成が10万石を与えられこの地に入り、新城:福山城を造りましたました。これは、毛利などの西国外様大名に対する抑えのための城でした。

城南石垣(左が福山駅です)
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筋鉄御門(すじがね)
伏見城から移築して造られました。

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鐘楼
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東御門
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福山駅南側
鞆の浦へは、ここからバスで約30分で行けます。
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福山城の地図は こちらから

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