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2014.10.09

秀吉と有馬温泉

有馬温泉は、日本書紀、枕草子にも書かれている昔から有名な温泉です。奈良時代に、僧行基が温泉寺を建立しました。

その後、多くの戦乱、大火などで寂れたりしました。

三木合戦の最中、兵隊の怪我を治療するために有馬の湯を汲んできて秀吉の本陣平井山の近くの安福田に野風呂を造り療養させたと言われており、又、竹中半兵衛や黒田官兵衛も治療のために有馬に来ています。

三木合戦の食糧、怪我人の輸送などに三木と有馬を結ぶ湯の山街道が造られました。

1583(天正11)年、信長の後継者争いの後、秀吉が有馬を訪れています。相当気に入ったようで、その後何度も訪れた記録が残っています。

今回は、秀吉と関連のある場所を紹介します。

 

豊臣秀吉
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太閤橋
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太閤橋のそばにある秀吉像
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ねね橋
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太閤の湯資料館
1995年1月の阪神淡路大震災で壊れた極楽寺書庫下から秀吉が造らせた湯殿や庭園の遺構が見つかりました。その遺構は、埋め戻されていますが、その資料が展示されています。4_3

この庭の下に太閤の湯殿があります。
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岩風呂遺構
岩の割れ目を伝わって湯が流れた跡
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極楽寺
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念仏寺
太閤殿下、ねねの別邸
極楽寺のすぐ横にあります。
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善福寺

千利休に茶会を開かせたお寺
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利休居士供養塔
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有馬温泉地図は こちらから




司馬遼太郎氏は、「播磨灘物語 村重落去」の中で、秀吉と有馬温泉について書いています。

ところが天正4年2月24日(1576年)に大火があり、仏閣も町屋もことごとく灰になってしまった。このためにふたたび衰え、のちに天正13年(1585年)、秀吉がここを大修復するまでまったく荒野の観があり、湯治にくる者もまれで、湯に入るのもわずかに小屋掛けして雨露をしのぐ程度であった。

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

賤ヶ岳の戦い後、ほぼ天下を手中に収めて、得意の絶頂にあった秀吉、
有馬温泉で盛大に戦勝祝いをする気分になったのでしょう。
天下人にとって有馬に別邸をつくるこはは、何の問題もなかったでしょう。

庶民には、有馬温泉に行くだけでも大変な出費ですが。
めりいさんと同感です。
今回も、有馬に行ったけど湯に入っていません。

秀吉が有馬温泉によく行ったとは知っていましたが、別邸まで建てていたのですね。

さすが太閤殿下。贅沢ですね~

私達庶民は、お湯に浸かることすらままなりません(笑)

シネマさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

シネマさん
ワイハーで温泉つかってたのですか。
戦後、すぐのころは、有馬の新婚旅行で行く場所だったようです。

しずかさん
しずかさんの記事を参考にして行ってきました。
播磨灘物語を読んでいると有馬にすいての記事が
あったので、近いこともあるので行ってきました。
平日なのにけっこうな人出でした。
以前行ったときの記憶がなく、
川と山の間に密集するように街があるので驚きでした。

懐かしい有馬温泉です!
といっても温泉は浸かってませんが(^_^;)
でも、温泉以外にも、寺社めぐりで楽しめました。

秀吉の像も太閤橋の近くにあったのですね。
私はねね様しかわかりませんでした~

有馬温泉~いってみたいです!

新婚旅行で!

ワイハーは、いったことがあるんで

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