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2014.10.14

有馬温泉

有馬温泉は、日本書記にも書かれた昔からの名湯で、多くの皇族や貴族、文化人に愛された日本最古の湯です。江戸時代に作成された温泉番付では、最高位の西の大関にランクされています。

ありま山 ゐなのささ原 風邪ふけば
いでそよ人を わすれやはする

温泉神社(とうせんじんじゃと読みます)
温泉を最初に見つけた、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。
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この階段の上に神社があります
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温泉寺
奈良時代、僧行基によって建立されました。
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境内にある五輪塔
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僧行基像
温泉寺の前に立っています
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うわなり神社(道端にある小さな神社)
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金の湯
外湯です。大人:650円
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銀の湯
外湯です
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御所泉源
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炭酸神社
明治8年に検査が行われ、飲料水として適していることがわかりましたが、それまでは「鳥類、虫、けだものがこの水を飲めばたちどころに死すなり」と言い伝えられていました。
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有馬のお土産:炭酸せんべい
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仏座巌(太閤橋の近くにあります)
江戸時代、元政上人が仏座に似ていることから命名しました。現在は、洪水によって岩の上の部分だけが露出しています。
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袂岩(たもといわ)
高さ5m 周囲約19m
温泉神社の祭神:久須美命が乱暴者に投げた小石が大きくなったと言われています
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有馬温泉絵
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坂道の狭い路地 風情のある街並み
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有馬温泉の地図は こちらから



司馬遼太郎氏は、「播磨灘物語 村重落去」の中で、有馬温泉について次のように書いています。

 

有馬の湯はほとんど知りがたいほどの昔から、湯治場として栄えている。文字が広く行われるようになってからの記録でも、「日本書紀」に、欽明天皇がその3年(631)に有馬へ行幸し、滞留82日間におよんだということが見えている。

伝説では、聖武天皇の神亀元年(724)に僧行基がここに温泉寺をたて、ひとびとの湯治場としての施設をつくったという。それ以来、宿泊所は温泉寺の宿坊という名目で発達したために、「坊」という名前がつくようになった。

その後、一時衰退していたのを、鎌倉時代に仁西という大和の僧がきて、温泉を復興し、12の坊をたてたという。

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コメント

しずかさん&めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

一枚売りの炭酸せんべいがあるのですか。
それなら買って食べればよかった。
店に入って写真だけ写して出てきました。

バス、電車、車&ロープウエイと色んな乗り物で有馬へ
行けるようです。
ロープウエイは、乗ってみたいです。
空からの有馬温泉見てみたいです。

私は有馬温泉にロープウエイを乗り継いて行った事があります。

空から行く有馬温泉も、なかなか面白いですよ。

但し、交通費がお高くついたような記憶がありますが。。(笑)

炭酸せんべい食べましたか?

私は一枚売りのを買って食べてみました。

さくさくしていて美味しかったな~

有馬温泉は、遠いイメージがありましたが、

三ノ宮からバスで行けば30分。

意外と楽に行けるのですね。

シネマさん
早い訪問とコメントありがとうございました。

温泉でゆっくりしたいですね。

先日、訪ねましたが平日でしたが、けっこうな人が来ていました。
若い人が多いのに驚きです。

一度は、いってみたいですね~

たんさんせんべいは、もらったことあります~

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