荒木村重の城 花隈城
秀吉の中国攻めの時、信長が敵対関係にあった毛利や石山本願寺の海上交通を遮断するために荒木村重(伊丹城城主)に命じて建てられたと言われています。しかし、1580(天正8)年12月、村重が毛利方に通じていると信長に疑いをかけられ、信長の腹心である池田輝政によって攻撃され陥落しました。
当時は、海に面して建てられていましたが、今では、その場所も神戸の繁華街:JR元町駅の北側になってしまいました。そして、城跡は市営駐車場です。
天守閣跡の石垣(現在は浄土宗福徳寺)
浄土宗福徳寺門前にある石碑
石垣の中は駐車場となっています
花隈城の地図は こちらから
司馬遼太郎氏は、「播磨灘物語 村重」で花隈城について次のように書いています。
毛利が、荒木村重を手に入れたかに見られる現象は、もう一つある。
このころ村重の支城の一つである摂津花隈城が、毛利方の不意の襲撃であっけなく陥落して、毛利の手に入ってしまったことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毛利・雑賀軍がふたたび海を越えて、花隈城へ押しかけたのである。花隈城は、いまの地理でいえば、神戸市にある。花隈城は新城であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
花隈城は、織田氏の対本願寺・毛利戦略からうまれた。大坂石山の本願寺に対し、毛利氏が補給するのを、花隈城でくいとめるためであり、信長が村重にその築城を命じたものであった。
« 竹中半兵衛の陣屋跡と墓 | トップページ | 官兵衛 人生最大の危機(1578(天正6)年) »
「黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事
- 母里太兵衛生誕の地(姫路市)(2014.11.18)
- スタバで官兵衛(2014.10.30)
- 合戦後の三木の街(2014.10.19)
- 秀吉、官兵衛軍 淡路島平定(志知城)(2014.10.26)
- 秀吉、官兵衛 淡路島平定(由良、洲本、沼島)(2014.10.24)
めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。
花隈城は、元町駅のすぐ北側にあります。
石垣から道1っ本東に行けばお寺があって、天守閣が
あったらしいです。
見取り図があるといいのですが。
あったら教えてください。
投稿: ラメール | 2014.09.14 01:48
神戸に行ったら、この花隈城址に行ってみたいと思いながら、なかなか機会がありません。
お寺の前に、石標があるのですね。
今まで荒木村重に悪いイメージを持ってましたが、今年の大河ドラマを見て、とても人間的なので親しみを感じました。
投稿: めりい | 2014.09.13 22:30
シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。
秋の小旅行を神戸に移行を予定に入れてください。
神戸は、夜景がきれいからその日は、
行ったり目の予定にして花隈もまわってください。
投稿: ラメール | 2014.09.13 10:51
神戸~2時間でいけるのに~
なかなかいけません~
投稿: シネマ大好き娘 | 2014.09.13 03:39
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
この花隈城が海に面していたとは、今では、想像がつきません。
400年前の地形に出会えるなら、今の神戸は、まったく違ったものなんでしょう。
投稿: ラメール | 2014.09.12 11:30
ついに出ましたね!
ここは駅から近くて行きやすいところでした。
今年は「軍師官兵衛」のおかげで、村重についても詳しく知ることができまいsた。
投稿: しずか | 2014.09.12 10:21