三木合戦包囲網 付城
川と山に囲まれた三木城は簡単には攻め落とせないと分かった秀吉は、二重三重と兵を配置して三木城を包囲して、兵糧攻めの作戦にでた。官兵衛軍もこの包囲網の中に参加していました。又、後に反旗を翻す荒木村重も秀吉本陣の後ろに陣を敷いていました。
しかし、毛利方から食料が運び込まれ、別所方の気勢は衰えない。
長期戦を覚悟した秀吉は、茶会の茶人:津田宗及を招き、1578(天正6)年10月15日に茶会を開きました。そして、武将たちを集めて酒を振る舞い、ストレス解消と士気の鼓舞に役立てました。(現在の暦では12月の満月の夜)
明石からの道を封鎖するために作った
明石道付城
高木大塚城跡
法界寺付城
中央の武将は、長治の弟:小八郎治定絵の右上に「秀吉本陣」と書いてあります。
※治定の絵は金物神社の絵馬からです。
秀吉本陣地図は こちらから
司馬遼太郎氏は、「播磨灘物語 秋浅く」で次のように書いています。
秀吉と官兵衛および竹中半兵衛がやったこの攻城法は、あるいは独創的なものだったといわねばならない。
三木城のまわりに、輪をえがくようにして長大な野戦築城をつくったのである。柵を植え、ところどころ複柵にし、要所要所に櫓をあげ、それらの延長が四里以上におよんだというから、三木城そのものより大きな土木工事だったといっていい。
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しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
秀吉の茶会
余裕と言うか作戦と言うか
とにかく奇抜なことを秀吉はやりますね。
武力だけに頼った他の武将とは、大違いです。
投稿: ラメール | 2014.09.07 12:03
>長期戦を覚悟した秀吉は、茶会の茶人:津田宗及を招き、1578(天正6)年10月15日に茶会を開きました。
こういったところが秀吉の気配りの上手さですね!
投稿: しずか | 2014.09.07 10:10
シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。
毎日、御馳走食べて、アルコール飲んで、
宴会しているようなもんでしょう。
あ~ら、よいよいよい。
投稿: ラメール | 2014.09.06 02:21
振る舞い酒は、いいですね~
シネマも、、毎日宴会したいです!
今日はインザヒーロー観ますね~
投稿: シネマ大好き娘 | 2014.09.06 01:19