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2014.09.14

官兵衛 人生最大の危機(1578(天正6)年)

1578(天正6)年~1579(天正7)年は、官兵衛に人生最大の危機が起こった年でした。

1578(天正6)年秋 荒木村重が謀反をおこし、説得に官兵衛は有岡城に出向き、捕えられ牢に入れられました。

1579(天正7)年 
6月13日  竹中半兵衛死去

9月2日   村重有岡城から消える

11月19日 有岡城開城

        官兵衛救出される

幽閉されている間、死の危険があるなか、自分を信じて、考えを変えなかった。

 

有岡城
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荒木村重と牢があった場所(推定)

 

牢屋(姫路大河ドラマ館)
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有岡城の地図は こちらから

 

司馬遼太郎著「播磨灘物語  摂津伊丹」で、官兵衛が捕えられ牢に入れられた様子を次のように書いています。

官兵衛が有岡城の城門で番卒に名前と用向きを告げると、騒然となった。人数が出てきて官兵衛をとりまき、一人が背後から組みつき、他の者が官兵衛の腰の物をうばい、さらに別の者が縄を打った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・牢というのは城の西南の隅にある小さな独立建物で、深いひさしが陽を遮っている。陽といえば前も左右も大竹やぶで、日中、陽がよほどたかくなっても、牢格子の中まで日光がおよんでこない。



牢に囚われた官兵衛について、「播磨灘物語 藤房」に次のように書かれています。

官兵衛は、なおも牢にいる。
牢というより、けものの檻にひとしいこのせまい空間は、たえず湿気ている。・・・・・・・・・・・・・雨がふれば牢内は三日も水気が去らず、ひざもとの土にみみずが這ったりする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

格子越しに見あげる牢のひさしに、ぽつんと薄緑色の輝くような生命がふくらみはじめてきたのである。
藤の芽であった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝、起きるとまっさきに藤をながめた。芽はすこしずつふくらみ、、小さいながら花の房もついているようだった。それを終日、飽くことなく官兵衛はながめつづけているのである。



●村重出城、●官兵衛救出について、「村重の落去」で次のように書いています。

〔村重出城〕
9月2日の夜、掻き消えるように伊丹の城から落ちてしまったのである。
重臣にも洩らさず、土卒も捨てた。また妻子や、多くの妾たちにも何もいわず、それらを置き去りにした。
かれは、毛利圏へ逃げるつもりであったのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊丹有岡城の降伏開城というのは、敵味方とも混乱のなかでおこなわれた。
11月19日(天正7年)の朝のことである。・・・・・・・・・・・・・・・・・つまり、尼崎にいる村重に対し、
「尼崎と花隈を開城せよ。でなければ、人質を残らず殺す」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尼崎で見る落日というのは、壮観というほかない。はるか明石海峡の方角にあたって、淡路の島影は紫に染まり、沖が銀色にかがやいて、そのなかを熟れきった太陽が音をたてるように落ちてゆくのである。

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毛利は来援しなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村重はたまりかねて、みずから毛利へ行きその兵をひきずって来ようとした、というのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



〔官兵衛救出〕
栗山は錠をこわしつつ、
「殿」
と、薄暗い牢内へ声をかけた。・・・・・・・・・・・・・・・

官兵衛は、髪は抜け落ち、四肢はミイラのように硬くなっていて、体の自由がまったくきかなかった。栗山はともかくも官兵衛を抱きあげ、大力の男の背に縛りつけた。
そのあといったん大手門のそとに出した。

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

めりいさん
写真、ちょうどいいのがあったので掲載しました。
明石海峡近辺の夕陽は、写真の人気スポットなので、
夕陽のきれいなときは、カメラが並んでいます。

出品するのは、デジカメではチョット苦しいです。

明石海峡の夕日が素敵です。
タイミングよく撮れましたね。タイミングを待ってたのかな?

フォトコンテストに出したらどうですか?
特賞がもらえるかも。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

本が出せるほどの力はないです。
官兵衛の人生を整理してみたかっただけです。

連休も今日で終わりですが、今週末から又連休ですね。
連休を楽しんでください。

ラメールさまも、本が出せますね!!

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

記事が、わかりやすいとのコメントもらうと嬉しいです。

播磨灘物語をもう一度読みながら、司馬遼太郎氏の
官兵衛を紹介しています。
天才文筆家だけあって、よく調べてあるし、それを
読む者を引き込んでゆく文章にしているなぁと
感心しています。

今までのまとめになっていますね!
官兵衛を後半から見ようとしている人に読んで欲しいです(#^.^#)
官兵衛BOOKよりわかりやすいですよ!

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