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2014.07.13

平泉の旅 中尊寺(1)

今から900余年昔の平安時代、奥州藤原氏によって築かれた平泉、初代藤原清衡(きよひら)は、恒久平和を願って中尊寺を建立、二代基衡(もとひら)は、大伽藍や浄土庭園を配した毛越寺を造るなど仏都づくりに努め、三代秀衡(ひでひら)は、無量光院などが建つ仏教都市を出現させ、さらに柳の御所などを整備して行政都市の機能を高め、「北方の王者」として絶頂期を迎えました。そのころ、都では、源氏と平家が中央の権力を争い、平家を倒した義経をかばった四代泰衡(やすひら)は、源頼朝によって滅ぼされてしまい、栄華をほこった藤原氏も滅亡してしまいました。そんな平泉を訪ねました。
(参考資料:パンフレット岩手宝国)

平泉駅
4

中尊寺は、駅から約2Kのところにあります。

Photo_6

金色堂
1124(天治元)年の造立。ご本尊は阿弥陀如来、堂全体を金箔で覆い、極楽浄土を表しています。金色堂は覆われています。中央に初代清衡公、左に二代基衡公、右に三代秀衡公の御遺体と四代泰衡公の首級が納められています。
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Photo_2

旧覆堂
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Photo_3

クリック拡大
Photo_4

本堂

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芭蕉句碑
夏草や 兵どもが 夢の跡
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと

五月雨の 降のこしてや 光堂
(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)
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1689(元禄2)年5月(新暦6月)に、芭蕉(46)と曽良(41)は奥の細道の旅で平泉を訪れています。



中尊寺の地図は こちら

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コメント

いずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

義経最後の地平泉、源平の史跡訪問のブログを
書き始めた時に、一番行きたかった場所です。
平家打倒の一番の功労者であるのに、頼朝に
滅ぼされた。
どんな場所が最後の地なのか見たかったです。
ちょっと期待外れでした。
小さなお堂がぽつんとあるだけでした。

平泉訪問、念願叶って良かったですね!

世界遺産に登録されたからかな?

平泉駅が変わったように見えます。

私もまたいつか訪問したいです。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

東北旅行中は天候に恵まれました。

いよいよ夏本番ですね。
寒さに弱いですが暑さにも弱いです。

秋よ来い

日頃のおこないがいいんですね~~~

こっちは猛暑~

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

天候には、恵まれました。
大河「義経」のころから源平史跡を訪ねはじめ、
いつかは、平泉へと思っていたのがついに実現しました。

平泉一帯が藤原4代の繁栄の地だったのがよくわかり
ました。
当時の建物で残っているのは、金色堂だけのようですが、
世界遺産に登録されています。

ラ・メールさん。
金色堂に行かれた時は、いいお天気だったようですね。

私も大河ドラマが義経の年(10年くらい前になるかな?)平泉に行きました。
でも大雨・・

こんな綺麗な写真を撮りたかった・・(T_T)

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