平泉の旅 高館義経堂
平泉の旅の最後の記事です。今回の旅で一番行きたかった所がここ義経終焉の地:高舘義経堂(たかだちぎけいどう)です。
源平の史跡を訪ねるブログを書きはじめた最初の記事が、義経が鵯越の逆落としで一気に平家の本陣を攻め勝利し、平家の若武者:敦盛の首を確認するために洗った池のそばの松に腰掛けました、「その池と松のある須磨寺(兵庫県神戸市)」の記事でした。その時に、義経終焉の地:高館義経堂に行ってみたいと思ったのがやっと実現しました。
義経の絶頂期が須磨寺であって、終焉の地がここ高舘義経堂です。
1189(文治5)年、義経は、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子:4代泰衡の急襲にあい、この地で妻子を殺害し、自害したと言われています。この義経堂は、1683(天和3)年に仙台藩主:4代伊達網村公が建立しました。
義経像
高舘義経堂
義経主従供養塔
階段を登ったところが義経堂です。
義経堂から見た北上川と束稲山(たばしねやま)
束稲山とは経塚山、音羽山、束稲山の三つの山の総称。
この階段を登って行くと眼下に北上川の見える所に出ます。
義経は、死なない、北の方に行って再起の時期を待った北行伝説が語り継がれています。
夏草や 兵共が 夢の跡(芭蕉)
源平の史跡を訪ねて 須磨寺 義経腰掛松