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2014.06.03

秀吉も参拝した大覚寺

近くに鶴松亭があり、秀吉もしばしば参拝に訪れたようです。

 

又、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という、安土から江戸時代にかけての三人の権力者の「禁制(きんぜい)」が保存されています。

 

秀吉の禁制には、「天正八年(1580)十二月六日」の日付と「筑前守」の署名があります。信長の播州平定の前線司令官として、羽柴筑前守秀吉が網干の地下人に宛てて発したもので、この年の4月に秀吉は黒田官兵衛を軍師として英賀城(姫路市 広畑区英賀)を攻め落としています。

※禁制(きんぜい)というのは、室町時代以後おもに箇条書きで軍隊が進攻するときに土地の者との悶着を避けるためには発せられた軍令書。


他に多数の寺宝があって、徳川幕府から10万石の縁を戴いて「三ツ葉葵」が寺の紋章として許されています。
(参考資料:大覚寺HPより)

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大覚寺門
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古い街並みがそのまま残っています。
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山本家住宅
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金刀比羅神社(こんぴらじんじゃ)
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大覚寺地図は こちらから

 

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

禁制コメントさん
訪問とコメントありがとうございました。

天正8年の禁制は、大覚寺に保存されているもので、秀吉の
署名があります。
大覚寺HPに記載されています。

秀吉の禁制は、天正5年です。

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

若いうちは、質より量ですよ。
歳とってくると自然に、量より質にかわります。
まだまだ、量でいってください。

ここは、こじんまりとした街ですが、今では、建てることの
できない建物がそのまま残っていました。

古い町並みが残っていて、なかなか風情がある所ですね。

こんな町をゆっくり歩きたいと思いながら、いつもバタバタと通りすぎてしまいます。

モーレツ歴女を返納して、もっと時間にゆとりがある旅を楽しみたいと願っています(笑)

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

四国讃岐と関係があるからでしょう。
金毘羅さんが金刀羅さんになっています。

金毘羅さんだぁ~~~

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

お宝いっぱいのお寺です。
天下人3名の禁制が保管されているってすごいことですね。

HP上では、昨年公開されたようですが、お宝展示会は今年の
行事のなかにはないですね。

大覚寺の存在は、姫路に行く直前に知りました。

こちらに保存されている禁制は、公開する時があるのでしょうか?

気になりますね。

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