秀吉が本陣を置いた書写山1(大講堂 食堂 常行堂)
11578(天正6)年、三木城の別所長治が反乱を起こしたため、姫路城にいた秀吉は、別所と毛利に挟まれ窮地に陥ったが、官兵衛の進言で、秀吉は書写山に本陣を置きました。
書写山は、姫路城の北にあって標高は371M、山上に円教寺があります。966(康保3)年性空の創建と伝わっています。「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三所中最大規模の寺院で、中世には比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇、法皇も多かった。
大河ドラマの中で官兵衛と半兵衛が話合っている場面に、三つの堂の建物が使われました。なかなか雰囲気のある場所です。
2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』、NHK大河ドラマ『武蔵』(2003年)のロケ地にもなっています。
(参考資料:Wikipedia、姫路市パンフレットなど)
中央:食堂廊下
修業僧の寝食のための建物。官兵衛ロケで使われていました。
右:大講堂
衆僧の学問と修業の場として使われた。官兵衛ロケでは、三成の本陣造りの場面で使われていました。
左:常行堂
修行の一つ「常行三昧」をする道場。舞台では、雅楽や舞の奉納が行われた。
※常行三昧とは、90日間にわって阿弥陀仏の名を唱えながら,そのまわりを歩きつづけて,つねに仏を念じ,心に極楽浄土や仏の三十二相などを浮かべる修行である。
書写山について、 「播磨灘物語 三木城」 (司馬遼太郎著)には以下のように書かれています。
「どこか。---」と秀吉は官兵衛に問うと、
「書写山こそ」
官兵衛もおなじことを考えていただけに、即座に答えた。書写とは、土地の音では、そさという。
姫路の西北一里半にある山で、北方の山脈が播州平野にむかってくだってきたその南端の高地である。
平安中期、山林の修行僧だった性空(しょうくう)という者がここに登って開山し、円教寺を建てた。・・・・・・・・・・日向の霧島山や筑前の背振山(せぶりやま)でひとり修行し、両部の密教を体得し、播磨に来て書写山をひらいた。
・・・・・・・・・・・・・・
標高三百七十メートルで、南のふもとから登ると、二十余丁で頂上に達することができる。
「建物も多く、米も十分に貯蔵されておりますから、大兵を容れるに足ります」
と官兵衛がいった。
さらに地理的にも、西方の国境から毛利が入ってくればすぐに対応できる。ただし、東方の三木城攻めについては、やや不便になる。・・・・・・・・・・・・・
三月六日、秀吉とその軍勢は、円教寺に予告することなく書写山にのぼった。
書写山円教寺の地図は こちらから
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しずかさん&めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。
この山は、登るには、相当健脚でないと無理でしょう。
ロープウエイがあるし、登るとバスで魔尼殿まで行けます。
なかなか見ごたえのある建物です。昔雰囲気を出すには
もってこいです。
官兵衛では、三つの堂で、二兵衛が話していました。
16年前に行かれためりいさん、たぶん、そのころとほとんど
変わってないと思いますよ。
投稿: ラメール | 2014.06.07 01:47
書写山は、西国札所巡りで、16年前に行きました。
当時はご朱印を集めるのが目的だったので、あまり建物は目に入っていませんでした。
こうして見ると、なかなか重厚なお堂ががっしりと建っていますね。
秀吉が本陣を構えるのに、ちょうどいい場所だったのですね。
投稿: めりい | 2014.06.06 20:30
ついに行かれましたか!
ここは鹿やたぬきも出没するそうで・・・
かなりのハイキングコースだと思います。
ラストサムライや官兵衛のロケ地で有名になりましたね!
投稿: しずか | 2014.06.06 15:10
シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。
姫路に来られたら、ぜひ登ってください。
ロープウエイで簡単に登れます。
歩いたほうがご利益多いと思いますが、しんどいです。
投稿: ラメール | 2014.06.05 05:26
シネマものぼってみたいです~
投稿: シネマ大好き娘 | 2014.06.05 03:01