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2014.05.24

福原城(兵庫県佐用町)

秀吉の播磨平定戦で、毛利方の最前線である福原城(佐用城)を、 1577(天正5)年、官兵衛と半兵衛とで一日で攻め落としました。地元の伝承では、福原則尚は戦死せず、城に火を放って高尾山福円寺まで逃れ、12月1日ここで自害して果てたと伝えています(『三日月町史』2)。官兵衛は、攻めるとき孫子の兵法「囲師必けつ(いしのひっけつ)」を使い、三方を囲み、後ろ一方を開けて逃げ道を作っておいた。そして、そこから逃げようとした者、城内に居た者、すべて切ったようです。落城時点で、城は廃城となり、地元の人によって、城主福原則尚を祀るために、土塁上に霊社を建立しています。頭脳明晰であったため、今でも参拝する人が多くいます。

城の建物はありません。霊社周りは畑地になっていて、土塁、堀と思われる跡が残っています。


城配置図
26_2

福原城跡(霊社があります)
霊社全

霊社
霊社

福原則尚辞世の歌
「死ぬなれば花の下にと思いしに 師走の花の咲くべくもなく」
死ぬのは、花の下がいいと思っていたが、師走に死んだのでは花が咲くはずもない
 
辞世の句

(クリックで拡大)
6


土塁
霊社うら


城跡入口道路
(中国自動車道佐用ICから南に、看板あります)
入口


福原城への地図は こちらから

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

城主を祀る霊社があるのは、慕われていたからでしょう。

400年ほど前の人がずーっと祀り継がれてきたのは、

地元の人の温かい心があったからでしょう。

半兵衛と官兵衛がともに攻めた少ない城ですね。
お城自体はなくても、立派な霊社や土塁が残っているのが嬉しいです。

頭脳明晰な人であった・・
平和な時代に生まれたら、社会のために活躍できたでしょうが、お気の毒です。

しずかさん、シネマさん&shikataさん
訪問とコメントありがとうございました。

マイナーな城跡ですが、今年は、官兵衛ブームで日が当たりました。

天守閣の跡だろうと思われるところに城主を祀った霊社があります。

敗れても、地元の人には、慕われていたのでしょう。

シネマさん、お姫様には、お城が似合いますね。

久し振りにこのブログを訪れると随分多く記事が掲載されており、バックデートで
見させて貰いました!
姫路周辺が大変判り易く、線で囲ったりして、良く理解できました。
ありがとうございました。

お城に住んでみたいです~

ドラマの舞台になると、ついつい足を運びたくなりますが、ラメールさんの記事で我慢しておきます(^_^;)

福原城は城自体は残っていませんが、土塁や堀跡だけでも、お城ファンにはたまらない遺構ですね!

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