英賀神社(兵庫県姫路市)
黒田 官兵衛について書いた小説で有名なのが、司馬遼太郎著「播磨灘物語」があります。 秀吉が英賀城(あが)を攻めたとき、城に立て籠もる英賀衆の中に司馬氏の先祖がおられました。
英賀(あが)は姫路市の南西部に位置し、今は住宅街になっていますが、官兵衛の時代には、西は夢前川、東は水尾川、北は湿田、南は内海に囲まれた城が築かれ、浄土真宗の英賀本徳寺(英賀御堂)を中心に寺内町、商業の町としても栄えたところでした。
英賀城史跡図(赤い枠内がおおよその城)
東西:約900M 南北:約800M
英賀神社
御神木
なで牛
播磨灘物語の碑(英賀神社内)
『播磨灘物語:英賀の浦』に、1576(天正4)年5月、英賀の港に上陸した毛利軍5000の兵に対し、官兵衛軍わずか1000の兵で撃退したことが書かれています。
播磨灘物語の一節「英賀の浦」
英賀というのは、官兵衛の姫路城から夢前川(ゆめさきがわ)の河口にむかってわずか2里(約8K)ほどの海岸にある城である。・・・・・・勢力としては、もともと官兵衛の姫路城よりは大きいが、さらにおそるべきことは、英賀衆のほとんどが一向宗(門徒・本願寺)になり、大坂の石山本願寺を応援していることだった。当然、織田氏の敵になる。
(中略)
二度駆けの途中で空が白んだ。官兵衛はそのように最初から計画した。陽が昇ると、霧が立つ。その霧のはるか後方に、地を圧するような武者押しの声がわきあがった。官兵衛が用意しておいた数百の百姓の疑兵である。陣貝が鳴り、陣鼓がはげしくとどろき、霧が薄れてゆくかなたに無数の旗がひるがえった。毛利勢は、敵の後詰がせまっていることを知った。かれらは無用の損害を避けるために退却を開始した。
「追うな」 官兵衛は、追撃をやめさせた。・・・・・
やがて英賀城の背後の浜から船に乗って播州を去りはじめた。その白帆のむれがひとひらずつ沖へ遠ざかってゆく光景を、物見がひどく詩的な表現で官兵衛に報告した。
「まるで蝶が去ってゆくような景色でございました。」
英賀城の地図は こちらから
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しずかさん、シネマさん&めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。
播磨灘の碑はけっこう大きいので、見落とすわけないと思いますが。
神木の横にありました。
この頃は、本一冊読む時間がとれません。
牛は、すぐに見つかるとおもいますよ。
まだ、もっと幸せになりたいのですか。欲張りすぎると
幸せ逃げてしまうかも。
投稿: ラメール | 2014.05.08 01:24
しずかさんも「播磨灘物語の碑」を見落としましたか。
私も同じです。
いつも同じような事をしていますね(笑)
播磨灘物語を読みたいと思いながら、つい日々のブログ作成に追われて、なかなか読めません。
ラ・メールさん、ポイントを書き出してくださってありがとうございます。
これで、少し分かりました。
投稿: めりい | 2014.05.07 20:44
なで牛ちゃん、なでなでしたいです~~
しあわせになれそう~~~
投稿: シネマ大好き娘 | 2014.05.07 05:30
私もここに行ってみましたが、「播磨灘物語の碑」は見落としてしまったようです。
いくつか石碑は撮ったのですけど(^_^;)
播磨灘物語・・・まだ読んでいないので、いつか読んでみたいです。
投稿: しずか | 2014.05.07 02:06