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2014.05.06

英賀神社(兵庫県姫路市)

黒田 官兵衛について書いた小説で有名なのが、司馬遼太郎著「播磨灘物語」があります。 秀吉が英賀城(あが)を攻めたとき、城に立て籠もる英賀衆の中に司馬氏の先祖がおられました。


官兵衛ゆかりのMAP
官兵衛マップ
 

英賀(あが)は姫路市の南西部に位置し、今は住宅街になっていますが、官兵衛の時代には、西は夢前川、東は水尾川、北は湿田、南は内海に囲まれた城が築かれ、浄土真宗の英賀本徳寺(英賀御堂)を中心に寺内町、商業の町としても栄えたところでした。



英賀城史跡図(赤い枠内がおおよその城)
東西:約900M  南北:約800M

英賀史跡地図



英賀神社
英賀神社

Photo

英賀神社由来(クリック拡大)
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御神木
4_2

なで牛
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播磨灘物語の碑(英賀神社内)
播磨灘碑

『播磨灘物語:英賀の浦』に、1576(天正4)年5月、英賀の港に上陸した毛利軍5000の兵に対し、官兵衛軍わずか1000の兵で撃退したことが書かれています。

 

播磨灘物語の一節「英賀の浦」

英賀というのは、官兵衛の姫路城から夢前川(ゆめさきがわ)の河口にむかってわずか2里(約8K)ほどの海岸にある城である。・・・・・・勢力としては、もともと官兵衛の姫路城よりは大きいが、さらにおそるべきことは、英賀衆のほとんどが一向宗(門徒・本願寺)になり、大坂の石山本願寺を応援していることだった。当然、織田氏の敵になる。

(中略)

二度駆けの途中で空が白んだ。官兵衛はそのように最初から計画した。陽が昇ると、霧が立つ。その霧のはるか後方に、地を圧するような武者押しの声がわきあがった。官兵衛が用意しておいた数百の百姓の疑兵である。陣貝が鳴り、陣鼓がはげしくとどろき、霧が薄れてゆくかなたに無数の旗がひるがえった。毛利勢は、敵の後詰がせまっていることを知った。かれらは無用の損害を避けるために退却を開始した。
「追うな」 官兵衛は、追撃をやめさせた。・・・・・

やがて英賀城の背後の浜から船に乗って播州を去りはじめた。その白帆のむれがひとひらずつ沖へ遠ざかってゆく光景を、物見がひどく詩的な表現で官兵衛に報告した。
「まるで蝶が去ってゆくような景色でございました。」

英賀城の地図は こちらから

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

しずかさん、シネマさん&めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

播磨灘の碑はけっこう大きいので、見落とすわけないと思いますが。
神木の横にありました。
この頃は、本一冊読む時間がとれません。

牛は、すぐに見つかるとおもいますよ。
まだ、もっと幸せになりたいのですか。欲張りすぎると
幸せ逃げてしまうかも。

しずかさんも「播磨灘物語の碑」を見落としましたか。
私も同じです。
いつも同じような事をしていますね(笑)

播磨灘物語を読みたいと思いながら、つい日々のブログ作成に追われて、なかなか読めません。

ラ・メールさん、ポイントを書き出してくださってありがとうございます。
これで、少し分かりました。

なで牛ちゃん、なでなでしたいです~~

しあわせになれそう~~~

私もここに行ってみましたが、「播磨灘物語の碑」は見落としてしまったようです。
いくつか石碑は撮ったのですけど(^_^;)

播磨灘物語・・・まだ読んでいないので、いつか読んでみたいです。

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