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2014.05.16

田井が浜・巽地蔵

毛利軍が攻めてきた田井が浜は、英賀城内の一画にありました。今は、埋め立てられて住宅地になっていて、お地蔵さんが祀られています。



英賀城概略図下の㉔(クリック拡大)
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巽地蔵
Photo

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(クリック拡大)
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山陽電車が上を走っていて、周りは埋め立てられ、昔の港だった面影はありません。

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『播磨灘物語:英賀の浦』に、1576(天正4)年5月、英賀の港に上陸した毛利軍5000の兵に対し、官兵衛軍わずか1000の兵で撃退したことが書かれています。

 

播磨灘物語の一節「英賀の浦」

英賀というのは、官兵衛の姫路城から夢前川(ゆめさきがわ)の河口にむかってわずか2里(約8K)ほどの海岸にある城である。・・・・・・勢力としては、もともと官兵衛の姫路城よりは大きいが、さらにおそるべきことは、英賀衆のほとんどが一向宗(門徒・本願寺)になり、大坂の石山本願寺を応援していることだった。当然、織田氏の敵になる。




官兵衛史跡地図
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田井ケ浜・巽地蔵の地図は こちらから

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

ねりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

ここは、めりいさんが記事にした西葛飾駅前の案内板を見て訪問したので、
あんがい早く見つけました。
英賀城の史跡を訪ねるなら、この案内板が一番わかりやすいです。

海から離れた住宅地が海だったとは、想像ができません。

この巽地蔵を探すために、苦労しました(笑)
でも、この近くに住む人が親切に案内して下さったので、予定よりたくさんの史跡を回る事ができました。

お地蔵様のお導きだったと感謝しましょう(笑)

シネマさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

こんなところに浜に関する史跡があるなんて思えません。
そうとうな範囲で埋め立てがされたんです。

戦いの跡だったので、死者を供養するために地蔵さんを
建てたのでしょう。
400年以上も前のことですが、今も受け継がれています。

あっ!ここは英賀薬師の近所に住む方に教えていただき、見学して来ました!

見逃してしまいうそうなところにありますね。

おじぞうさま~ありがたいですね~

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