田井が浜・巽地蔵
毛利軍が攻めてきた田井が浜は、英賀城内の一画にありました。今は、埋め立てられて住宅地になっていて、お地蔵さんが祀られています。
巽地蔵
山陽電車が上を走っていて、周りは埋め立てられ、昔の港だった面影はありません。
『播磨灘物語:英賀の浦』に、1576(天正4)年5月、英賀の港に上陸した毛利軍5000の兵に対し、官兵衛軍わずか1000の兵で撃退したことが書かれています。
播磨灘物語の一節「英賀の浦」
英賀というのは、官兵衛の姫路城から夢前川(ゆめさきがわ)の河口にむかってわずか2里(約8K)ほどの海岸にある城である。・・・・・・勢力としては、もともと官兵衛の姫路城よりは大きいが、さらにおそるべきことは、英賀衆のほとんどが一向宗(門徒・本願寺)になり、大坂の石山本願寺を応援していることだった。当然、織田氏の敵になる。
田井ケ浜・巽地蔵の地図は こちらから
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ねりいさん
訪問とコメントありがとうございました。
ここは、めりいさんが記事にした西葛飾駅前の案内板を見て訪問したので、
あんがい早く見つけました。
英賀城の史跡を訪ねるなら、この案内板が一番わかりやすいです。
海から離れた住宅地が海だったとは、想像ができません。
投稿: ラメール | 2014.05.17 02:12
この巽地蔵を探すために、苦労しました(笑)
でも、この近くに住む人が親切に案内して下さったので、予定よりたくさんの史跡を回る事ができました。
お地蔵様のお導きだったと感謝しましょう(笑)
投稿: めりい | 2014.05.16 13:46
シネマさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
こんなところに浜に関する史跡があるなんて思えません。
そうとうな範囲で埋め立てがされたんです。
戦いの跡だったので、死者を供養するために地蔵さんを
建てたのでしょう。
400年以上も前のことですが、今も受け継がれています。
投稿: ラメール | 2014.05.16 11:52
あっ!ここは英賀薬師の近所に住む方に教えていただき、見学して来ました!
見逃してしまいうそうなところにありますね。
投稿: しずか | 2014.05.16 10:42
おじぞうさま~ありがたいですね~
投稿: シネマ大好き娘 | 2014.05.16 05:02