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2014.03.23

もうひとつの官兵衛物語(6) 兵主神社 腰掛石

官兵衛が西脇市黒田庄の出であることの証拠に秀吉が黒田庄に来ていることです。三木城攻めの時、秀吉が腰掛けて指揮を執った石があり、また、戦勝祈願をした神社があります。


兵主神社と腰掛石のある極楽寺地図
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兵主神社
(ひょうす)
播磨攻めで三木城主:別所長治をなかなか攻め落とせなかった秀吉は、兵主神社の兵主が中国史記に出てくる武神でもあることから、黒田官兵衛に代参させ奉納金を納めて戦勝祈願をした言い伝えがあります。奉納金で拝殿が建設されました。官兵衛46歳のときで、如水と名乗っていました。
兵主本

兵主全

大鳥居

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秀吉腰掛石

三木城攻めのとき、秀吉は、大志野(現在の西脇市黒田庄町南部)に陣をはって、この石に腰掛けて指揮をとったと言われています。極楽寺境内(兵主神社の前の池を挟んだ反対側にあります)
腰掛石

石神社

極楽寺の中に腰掛石はあります
極楽寺

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官兵衛姫路出生説と黒田庄出生説を紹介してきましたが、この二人の官兵衛がつながるのは、姫路城主となったところからです。    
官兵衛が誕生したときから約400年が過ぎた今、どちらが正しいのか決定的なものはありません。このような謎を想像するのが歴史の楽しいところでもあります。


兵庫県西脇市黒田庄町の地図は こちらから


播磨黒田家の資料紹介  西脇市HPはこちらから

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

おやじギャルさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

姫路生まれか黒田庄生まれか、どちらが正しいのか
今のところは、わかりません。
官兵衛の年ですから、新しい資料でも出てくるといいのですが。

しずかさん、しずかと義経が並んで腰かけた石なんて新しい史跡を
作られたらどうですか。

私もどこかの石に腰かけて、しずかの腰掛石と命名しておこうかしら?(^_^;)

ますます官兵衛魅力が湧いてくる記事ですね~
出来る事なら、タイムスリップしてこの時代いや本物の官兵衛に
出会いたいものです。
勿論ラメールさんの案内の下でー(*^ー゚)bグッジョブ!!

merryさん
訪問とコメントありがとうございました。

秀吉の腰掛石、どこまで本当なのかわかりませんが、
むかしのことですから、どんな石にでも腰掛られたのでしょう。
あるいは、一度腰掛けただけかもわかりません。

ご利益の多い石のほうで、今でもお参りする方が多く
おられるようです。

秀吉の腰掛石、座り心地が悪そうですね(笑)

それでも秀吉は勝った・・

秀吉はイスを選ばす、弘法は筆を選ばず。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

チャンネル押すと見たい時代が写りだせるそんなTVが
あったらいいのですが。

タイムスリップして、確かめたいですね~

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