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2014.03.02

官兵衛の妻:光(テル)の出身地 志方城

官兵衛の父:職隆は、優秀であっただけに、主君である御着城主:小寺政職から謀反の疑いをかけられ、その疑いを晴らすため、官兵衛に家督を譲る事を決めました。

そして、小寺政職の勧めで、官兵衛は、志方城3代目城主:櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の次女:光(テル)を嫁にもらいました。官兵衛22歳の時でした。

 

光は、1553(天文22)年に生まれ、1567(永禄10)年、15歳の時、叔父にあたる小寺政職の養女となって黒田官兵衛と結婚する。一夫多妻が一般的だった戦国時代、側室を持たなかった官兵衛のただ一人の妻として官兵衛を支え続けました。

1627(寛永4)年没,75歳の長寿をまっとうした。

法名:照福院殿然誉浩栄大尼公

光自画像 旗

 



志方城は、1578(天正6)年、毛利討伐のために播州入りした豊臣秀吉によって攻められ、落城しました。この時の光の立場は、嫁ぎ先は、攻める秀吉方、実家の櫛橋家は、反秀吉側でした。光の胸の内は、複雑なものだったでしょう。
1587(天正15)年、城主の墓碑を守るため城の本丸跡に禅寺を建てたのがこの観音寺です。

観音寺正門 

正門
 

本堂
建物

西門
西門



櫛橋家の墓

墓 

志方城主 櫛橋家累代の墓

 墓2


志方城地図

城地図

志方城の地図は こちら
兵庫県加古川市志方町志方町720

 

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

merryさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

ほとんど日の目をみなかったお寺ですが、
今年は、やっと念願がかなったようです。
やはり大河の影響は大きいです。

光は照らすで、テルなんですかね。

ここにも官兵衛の幟があるのですね。

官兵衛ゆかりの地として、今年は訪れる人が多いでしょう。

昨年神戸に連泊し、いろんなところに行きましたが、まだまだ行き足りません(^_^;)

「光」と書いて「テル」と読むとは意外でした。

「ひかる」ちゃんかと思ってました(笑)

シネマさん
休日の早朝、訪問とコメントありがとうございました。

花が生き生きしている所に目が行きましたか。
やさしい心ですね。

お墓の花が枯れていない~

素敵なことですね!

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