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2014.03.14

もう一つの官兵衛物語(1) 黒田庄の古文書

NHK大河ドラマでの官兵衛は、父:職隆、姫路城で生まれたとしていますが、近年、官兵衛についての研究がすすみ、出生地は、西脇市黒田庄であると言う有力な説がでてきました。現地に行って調べてきました。



官兵衛時代の城配置図
略地図



西脇市黒田庄官兵衛史跡図
4_2




荘厳寺(しょうごんじ)に官兵衛に関することが書かれた古文書があります
650年に天竺(インド)の僧法道仙人の開基と伝えられています。1596(慶長年間)年に徳禅上人が当山に入り、再興され真言宗高野山派の末寺として栄えました。
荘厳寺全景


本堂入口



荘厳寺(しょうごんじ)案内板より(兵庫県西脇市黒田庄)

播磨黒田は、赤松氏の一族で、1351(観応2)年に赤松一族の七郎重光が黒田城に住んで播磨黒田氏の初代となりました。8代黒田城主:重隆(しげたか)に、二人の男子がいて、



兄:治隆(はるたか)は、重隆の後を継いで9代城主となりましたが、1570(元亀のころ)年代はじめのころ、合戦に敗れ、播磨黒田は滅亡しました。


弟:考隆(よしたか 官兵衛)は、姫路城主:小寺職隆(もとたか)の養子となって、小寺官兵衛を名乗り、御着城主:小寺氏の家老となり、姫路城主となりました。



これら説の資料として、心光寺(姫路市 黒田家の菩提寺)の古文書「考隆は、播磨国多可郡黒田村の産なり」とあり、当地(兵庫県西脇市黒田庄)が官兵衛の出生地であると明記されています。また、当地の荘厳寺(しょうごんじ)所蔵の本黒田家略系図(黒田氏の発生から滅亡までの歴代が記されています)にも記されています。






荘厳寺所蔵「黒田家略系図」
考隆 官兵衛
   小寺美濃守職隆の猶子(養子)トナリ姫路城ヲ守ル
略系図

系図拡大

略系図が展示されています。
展示中

昔の雰囲気がそのまま残っています
土塀

西景色

顔写真


続いて、黒田庄にある官兵衛関連の史跡を紹介しますので、訪問お願いします。

播磨黒田家の資料紹介  西脇市HPはこちらから 

荘厳寺の地図は こちらから

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

これは貴重な記事ですね!

なかなか見ることができない資料のアップ

ありがとうございます。

わ~すごい!本格的な学術調査ですね。
歴男もなかなか板についてきました。

荘厳寺、いい雰囲気のお寺です。

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