官兵衛の母:岩の出身地 枝吉城
官兵衛の母:岩は、播磨国明石郡枝吉城主の明石宗和(あかしそうわ)の娘として、1531(享禄4)年に生まれ、そして、播磨国御着城主小寺政職(まさもと)の養女となって、同家の有力家臣として台頭していた黒田職隆(もとたか)に嫁ぎました.。
結婚の翌年、彼女は15歳で長男万吉(後の官兵衛)を産んでいます。
因みに官兵衛の他に、彼女は職隆との間に、一男二女を儲けていますが、8歳違いの同母弟利隆(としたか。利高とも)は、黒田家臣団精鋭部隊の黒田八虎の筆頭としても知られています。
和歌などに秀でた教養の高い女性でした。官兵衛は、母岩の影響を強く受けて和歌、連歌などを身につけていました。彼女が28歳の若さで亡くなています。
枝吉城
神本神社の上の台地に枝吉城石碑があります。
神社
遺跡があります
吉田資料館
枝吉城(枝吉4丁目7)は、明石氏によって室町時代中頃(1500年ころ)に築かれた城で、明石川西岸は人口も集中し発展した土地でした。1585(天正13)年、城主となった高山右近重友が、船上城を新たに築き移った事により廃城となりました。
船上城(ふなげじょう)
明石の城と言えば、JR明石駅のホームから見える城を思い浮ばれると想像しますので、その歴史を紹介しておきます。
1617(元和3)年、信州松本城主より明石藩主となった譜代大名:小笠原忠真は、船上城に入城した。そして、同年に2代将軍徳川秀忠の築造命令により、小笠原氏10万石の居城として城郭を建設しました。天守閣は、建設されませんでした。その時に城下町の町割りをしたのが宮本武蔵 だったと「播州明石記録」に記載されています。
明石城
明石櫓石垣
枝吉城地図は こちら
豊臣秀吉の軍師としての黒田 官兵衛の生涯を書いた本として有名なのが司馬遼太郎の『播磨灘物語』があります。播磨灘は、兵庫県の南西部(播磨の国)の沖合いを言います。
播磨灘に沈む夕陽
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merryさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
共同ブログで使ったネタを使いまわしでこちらでも
使うことにしました。
明石城は、官兵衛とは関係がないのですが、JRから見えるので、
明石の城となるとこの城を思う浮かべられるでしょうから、
明石城の流れを解説しました。
投稿: ラメール | 2014.03.03 00:32
明石城は駅から近いので助かりました!
しかし、土日ではなかったので、櫓の見学ができず残念でした(;O;)
近くまで行くことがあれば再度行ってみます。
投稿: しずか | 2014.03.02 22:13
明石城は、駅から歩いて近いですか?
電車で通ることがあったら、立ち寄ってみたいポイントです。
投稿: merry | 2014.03.02 14:05
シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。
>中学生で子供を産んだ
そう言うことになりますね。
今なら、大問題ですね。
投稿: ラメール | 2014.03.01 12:38
15歳~
中学生で産んだのですね
投稿: シネマ大好き娘 | 2014.03.01 04:26