心光寺(姫路市 黒田家菩提寺)
心光寺には黒田家の菩提寺で官兵衛の祖父:重隆公、重隆公妻、官兵衛の父:職隆(もとたか)、職隆公妻らの位牌が祀られてます。
又、同寺の古記録に「小寺官兵衛祐隆後改孝隆。氏改め黒田。入道して如水という、播磨の国多可郡黒田村の産なり。其所の名に寄て、後、黒田氏に改めて、当城に相続して居す(当城は姫路也)」と記述されています。
本堂
正面入り口
門(黒田家廟所から移築した門)
灯篭(黒田家廟所から移築した灯篭)
心光寺全面
心光寺地図は こちらから
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「黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事
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宮坂様
訪問とコメントありがとうございました。
戦後、心光寺さんにお世話になって、数家族と一緒に生活されたことを
よく覚えておられますね。
戦後すぐのころは、私も同じ家の敷地の中で部屋を区切って
3家族が一緒に生活していました。
ここで紹介した心光寺さんは、1990(平成2)年に道路拡張で宮坂様が住んでおられた場所から今の場所に移動しています。
私は、大河ドラマでこのお寺を知りましたが、生活の拠点にして
おられた方もおられたんですね。
戦後は、遠い昔の思い出となりました。
場所から
投稿: ラメール | 2016.07.25 01:23
私は戦後昭和22年(小3~中2)から6年間、姫路市坂田町の心光寺さんの境内の庫裏(40畳)をお借りしていました。私の母が、洋裁学院を開かせて戴いたのです。心光寺さんは国道2号線の角にあって、南に2院、北に3院のお寺がありました。(70年前の記憶です)そのなかでも一番大きなお寺だったと思います。戦争で家を失った数家族が、離に(2家族)、観音堂に(私達が絵を習った、巡査さんご夫婦)、40畳の隣の三間に(4人家族)と、間借りしていました。大きなカリンの木がありました。その横に、タイル屋さんの倉庫もありました。山門横の国道沿いには、お寺の塀を取って、二坪ほどの簡単な建物のお店が三軒ばかりありました。その続きには広い墓所がありました。そのまた東の高架橋の西側には「日ノ本女学院」がありました。姫路市総社には毎年木下サーカスが、来ましたが、団員さんたちは、本堂に、寝泊まりして、境内の庭で、自炊していました。やはり黒田家の由緒あるお寺さんだったのですね。困った人々を、お助けいただいて、今も懐かしい、楽しい想い出になっています。お寺さんのお名前は合田さんでしたか、お子さんは、じょうこさん。てるちゃんにお兄さんでした。みなさんお元気ですか。個人的なお便りで、ご迷惑かけましたら、お許し下さい。
投稿: 宮坂京子 | 2016.07.24 21:54
今日は一日お疲れ様でした!
あれから長浜の町を一時間うろついていました(笑)
明日はやはり雨になりそうです(涙)
投稿: しずか | 2014.03.29 20:08
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
精力的に歴女やっておられますね。
このお寺は、以前は、違う所にあったようですが、道路工事で
移動させられたようです。
見た感じ、お城みたいです。
官兵衛とつながりのあるお城ですが、姫路でもちょっと
離れています。
投稿: ラメール | 2014.03.28 23:45
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
精力的に歴女やっておられますね。
このお寺は、以前は、違う所にあったようですが、道路工事で
移動させられたようです。
見た感じ、お城みたいです。
官兵衛とつながりのあるお城ですが、姫路でもちょっと
離れています。
投稿: ラメール | 2014.03.28 23:44
長浜からコメント入れてます。
今日は半兵衛の追っかけをしてきました。
ラメールさんの記事は、画像も奇麗なので、、ついつい行きたくなってしまいます!
明日はお付き合いよろしくお願いします。
投稿: しずか | 2014.03.28 21:05
シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。
黒田廟から移築した門と灯篭、位牌があるお寺だけに、
今年は、脚光をあびています。
見た感じは、戦国時代のお城みたいです。
投稿: ラメール | 2014.03.27 13:48
門も、灯篭もりっぱですね~
投稿: シネマ大好き娘 | 2014.03.26 03:39