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2014.01.20

明石城の移り変わり(2/3) 船上城

船上城(ふなげじょう)
1585(天正13)年、天下をとった秀吉は、枝吉城主:明石氏を国替えで但馬の豊岡城へ移し、高槻4万石:高山右近が6万石城主になり枝吉城に入り、新しい城:船上城を築きました。そのため、枝吉城は、廃城となりました。船上城の規模は、小ぶりですが、3層の天守閣がありました。

1587(天正15)年、秀吉は、バテレン追放令を出し、信仰をすてきれなかった高山右近は、追放され、船上城は、秀吉の直轄領となります。


今は、住宅地の裏の田んぼの中に小さな小高い森の中に本丸跡として残っているだけです。
Photo_3

(クリック拡大)
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Photo_4


城より南に400mほど行くと海岸に出て、高山右近が重要拠点とした明石海峡があります。
(クリック拡大)
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追放された高山右近のその後は、1588(天正16)年、加賀の前田家の庇護のもと金沢で暮らしていました。1614(慶長19)年、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、加賀を退去し、長崎から家族と共にマニラに逃れましたが、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を患い、1615年2月に息を引き取りました。享年64。


城概略地図
2_2


船上城跡の地図は  こちら
明石市神明町

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コメント

おやじギャルさん
訪問とコメントありがとうございました。

面白いと思っていただくと嬉しいです。

確かに過ぎさった日々は早いです。
一日が何かして過ごしたと思われる日で
あってほしいと思っています。

明日は、明石城を紹介します。

明石にやってまいりましたね~
ほんま、居ながらにして面白いですー
毎日があっと言う間に過ぎ去っていく日々の中で
此処に来るとタイムスリップしたような気がして癒されます

シネマさん、しずかさん&merryさん
訪問とコメントありがとうございました。

たしかに64歳は、今ならわかすぎますね。
人生50年と言われた頃ならけっこう長生きかも。

官兵衛の母の出身地が枝吉城です。
その関係で船上城、そして明石と続きました。
私もはじめて明石の城の流れを知ることができました。

高山右近と言えば、高槻ですが、明石に右近が
来ていたのは知りませんでした。
少しでもドラマで出てきてほしいです。

最近、高山右近に興味があって、高槻城に行こうかと調べていました。

船上城も高山右近ゆかりのお城なのですね。
初めて知りました。

官兵衛とゆかりの深い人物なので、きっと大河ドラマでも登場すると思います。

ラメールさんは、上の3つの城を制覇されたのですね!

船上城を「ふなげじょう」と読むのは

知らないと読めませんね(^_^;)

今は64歳は早いですね~

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