明石城の推移 (3/3) 明石城
大阪夏の陣で豊臣氏を滅ぼした徳川家康は、「一国一城令」を出して大名の統制をはかりました。
1617(元和三)年、信濃国松本8万石の小笠原忠真(ただざね)が、大阪夏の陣の働きを認められ、2万石加増され、10万石で船上城に入りました。1618(元和四)年、2代将軍:徳川秀忠は、新城を築くことを命じ、忠真は、人丸山に城をきずきました。それが今の明石城です。徳川幕府は、西国大名を抑えるために姫路城と明石城をその拠点にしたのでした。
明石城(天守台は造られたが建てられることはなかった)
櫓上から見た城下町(クリック拡大)
城下町造りには、宮本武蔵がかかわったと言われています。
織田家長屋門
城概略地図
明石城地図は こちらから