城たびブロガー訪問記7 (柏原藩陣屋跡など)
柏原町(かいばらちょう)は、織田信長の子孫が治める小さな城下町です。
1598(慶長3)年、織田信長の弟:信包(のぶかね)がこの地の藩主(3万6千石)となった後、三代52年続きましたがいったん途切れて天領となりました。
1695(元禄8)年に信長の次男:信雄の孫:大和郡山城主信休(のぶやす)が二万石で移封されてきました。それ以降、10代にわたり1871(明治4)年まで織田家によって治められてきました。
柏原の地には、城は築かれず藩主は、陣屋に居住していました。
徳川幕府は、徳川に対抗した豊臣家は、完全に滅ぼしましたが、織田家は存続させました。しかし、織田ファンは多く、織田家の力が大きくなるのを恐れて、つぶしてしまうのでなく、山間の小さなこの場所に閉じ込めてしまい、近くに徳川有力大名が城主の篠山藩を置き、監視を続けたのでしょう。生かさず殺さずの扱いだったのではないでしょうか。
柏原藩陣屋跡
信休が入封直後は、藩邸もなく、民家に仮住まいしていました。入封後20年を経た1714(正徳4)年に陣屋を造営しました。当時の陣屋は、隣の柏原総合庁舎を含んだ広大な敷地に表、中、裏御殿のある主屋や台所が造られていました。現在の陣屋は、1820(文政3)年に再建された表御殿の一部です。1858(安政5)年、陣屋北西隅に藩校:崇広館(そうこうかん)が建てられました。廃藩置県で廃校となりましたが、明治6年に崇広小学校へと引き継がれました。
織田神社 (三代目藩主:織田信勝が祀られています。)
信勝は、8歳で藩主となりましたが、28歳の若さで亡くなりました。
跡継ぎがなかったためにこの時に、一時お家断絶となりました。
柏原町地図は こちら
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シネマさん、しずかさん、おやじギャルさん&merryさん
訪問とコメントありがとう。
シネマさん
28歳は若すぎますよね。
こうべ たそがれ ホテルの小部屋
くちづけ 残り香(が) 煙草のけむり
しずかさん
説明板は、私もかならず写すようにしています。
あとで、これなんの写真と言うのあります、そんな時の
ためにも必要ですが、フラッシュが写っていたりして、
つかえないことけっこうあるのは、同じです。
おやじギャルさん
夜は、本当に寒かったですね。
本格的な冬の到来です。
そんな夜、熱燗でいっぱいは、美味しいのでしょうね。
風邪にご注意ください。
merryさん
信長は、天下目前で、非業の最期をとげました。
その後の子孫が、この地で生き延びていたのです。
今でも、あこがれるヒーローNO1に信長がでてきます。
徳川幕府もその扱いには、慎重だったのでしょう。
スケート信成、頑張れとエールを贈ります。
投稿: ラメール | 2013.12.12 02:08
>徳川に対抗した豊臣家は、完全に滅ぼしましたが、織田家は存続させました.
そういえば「豊臣家」の子孫とは聞かないけれど、「織田家」の子孫はききますね。フィギアスケートの織田信成君のように。
なるほど「生かさず殺さず」ですね。
投稿: merry | 2013.12.11 21:58
寒い雨の1日でしたね…今夜からどんどん寒くなっていきそうですね~
ブログの更新絶好調ですね
見ている者にとってもワクワクしながら参加していますー
居ながらにして、旅行ができるなんて良いですね~
今夜も美味しいお酒が飲めますよ(*^ー゚)bグッジョブ!!
投稿: おやじギャル | 2013.12.11 18:47
国指定史跡だけあってきちんと整備されていますね。
説明板もうまく撮影されていて、読みやすいです。
私も必ず撮るようにしていますが、帰ってから画像を見ると
ぶれていたり、字が小さ過ぎてアップできなかったりと
ボツにすることが多いです(~_~;)
建勲神社は京都のだけ行ったことがあります。
投稿: しずか | 2013.12.11 14:48
28
歳~~~一番いいときに>_<
投稿: シネマ大好き娘 | 2013.12.11 05:51