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2013.10.09

黒田官兵衛が仕えた小寺氏の御着城

官兵衛の父:職隆(もとたか)は、御着城主:小寺氏に仕え、姫路城の城代でした。母は、明石城主:明石正風(あかしまさかぜ)の娘。当時は、御着城が本城で姫路城は支城でした。
官兵衛は、その姫路城で、1546(天文15)年に職隆の嫡男として生まれました。この日は、姫路城は一面の雪景色で英雄の誕生で家が栄えると家人一同喜び合ったと言われています。16歳で出仕し、翌年に初陣をはたし、元服して官兵衛考高(よしたか)と名乗りました。1567(永禄12)年家督を継いで姫路城代となり、志方(しかた)城主櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の娘:光(てる みつ)と結婚しました。

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御着城(クリック拡大)
お城としての建物はなく、公園として残され、御着城の碑があるだけです。
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市役所の出張所としてお城の雰囲気の建物があります。
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御着城跡の公園内にある顕彰碑
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目薬の木
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祖父:重隆と生母(明石氏)の墓
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天川橋
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参考資料:ひめじの官兵衛など


世界遺産姫路城
池田輝政が、1601年(慶長6年)から8年掛けた大改修で現在の形を作り上げました。現在は、平成の大修理中で、2014(平成26)年まで覆われています。
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秀吉時代の姫路城
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姫路市御国野町御着 (地図

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黒田官兵衛ゆかりの史跡」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとう。

姫路城から御着城に到着ですか。
まさか自転車での移動ではないでしょうね。
どんな記事になるか楽しみにしています。

今日、やっと御着の記事まで行きました!

後日アップします(*^。^*)

一か月間に亘る記事は大変な作業です(^_^;)

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

写したのか、移してないのか、分からないことよくあります。

神社などで、由緒書きを写したがこれがどの建物だったか

わからなくなって、ネットで調べたりします。

画像を整理したら、目薬の木、ちゃんと写してありました(^_^;)

姫路城の日に御着に行って、あまり時間がなくなり、現地では、説明読まずに、そこにあるものをなるべく短時間で撮影しようとしているので、何を撮ったのか自分で把握していませんでした(笑)

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

上の写真で言えば、黒田 官兵衛顕彰碑の
奥に写っています。

目薬のお茶があるんですか。
なんでも商売になるんですね。
薬局で売ってると官兵衛ブームの来年なら
売れるでしょう。

あっ!そういえば目薬の木を写し忘れました(汗)

どこら辺にありましたか?

姫路で目薬の葉のお茶を飲みましたよ!

私はダメでした(^_^;)

官兵衛の手紙などを紹介した展示会行けたら、取材よろしくお願いしますm(__)m

放映前から官兵衛のPR、兵庫県頑張っていますね!

しずかさん
訪問とコメントありがとうございます。

官兵衛関連の記事もあと妻鹿の国府山城で最後です。

官兵衛の手紙などを紹介した展示会もその内に

行ってきます。

いえいえ、下調べが不十分だと、見逃してしまうものもあるでしょうから、大変参考になります!

merryさん
訪問とコメントありがとうございます。

英賀城跡は行っていません。
テキストにならずすみません。

ラ・メールさん。

英賀城跡にも行かれましたか?

もし行かれたのなら、テキストにしたいので、30日までにアップしてくださいね(笑)

シネマさん
訪問とコメントありがとうございます。

歴女二人と行動するのは、大変でえすよ。

山で熊が出ようが史跡があるとドンドン登っていきます。

その勢いに、熊も隠れているようです。

シネマさんは、その間、茶店でワインでも飲んでるといいかなぁ。

いいなあ~~~シネマもいきたいですぅ~

歴女二人で行かれる計画なら、早くアップしすぎました。
知らないで行った方が感激があるでしょうから。

天川橋は、城公園内の出張所の裏にありますから、
直ぐにわかります。
お城の雰囲気は、まったくありません。

あ~~ここ、merryさんと行く計画立てています!

先に様子を知ることができて良かったです\(^o^)/

天川橋というのはすぐに見つかりますか?

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