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2013年10月

2013.10.14

黒田官兵衛が姫路より移った妻鹿城(兵庫県姫路市)

播州攻略にやってきた秀吉のために、黒田官兵衛は住んでいた姫路城を明け渡し、妻鹿城〈めがじょう 別名:国府山城(こうざんじょう)〉に移りました。山頂からは、姫路城が見渡せます。


妻鹿城址
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城は山の上にあって、横に市川が流れています。
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城登山入口にある荒神社
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山頂に登る入口          黒田家発展の目薬の木
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黒田官兵衛の父:職隆(もとたか)の廟所
1567(永禄10)年に官兵衛に家督を譲り、妻鹿城に移り隠居しました。
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筑前さんと親しまれています。
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播州黒田武士の館

播磨黒田武士顕彰会 副会長さんが個人的に集められた官兵衛に関する資料を展示しておられます。今回、大河ドラマに黒田官兵衛がとりあげられたのも顕彰会の働きかけが大きな原動力になっています。
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個人の資料館ですので、見学希望の場合は、事前連絡が必要です。見学は無料です。大変な量の資料を見せていただきました。今年から来年は、官兵衛イベントでご多忙のご様子でした。
兵庫県姫路市飾磨区妻鹿東海町107 (地図
  TEL 079-245-4685


兵庫県姫路市葛飾区妻鹿 (地図

2013.10.09

黒田官兵衛が仕えた小寺氏の御着城

官兵衛の父:職隆(もとたか)は、御着城主:小寺氏に仕え、姫路城の城代でした。母は、明石城主:明石正風(あかしまさかぜ)の娘。当時は、御着城が本城で姫路城は支城でした。
官兵衛は、その姫路城で、1546(天文15)年に職隆の嫡男として生まれました。この日は、姫路城は一面の雪景色で英雄の誕生で家が栄えると家人一同喜び合ったと言われています。16歳で出仕し、翌年に初陣をはたし、元服して官兵衛考高(よしたか)と名乗りました。1567(永禄12)年家督を継いで姫路城代となり、志方(しかた)城主櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の娘:光(てる みつ)と結婚しました。

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御着城(クリック拡大)
お城としての建物はなく、公園として残され、御着城の碑があるだけです。
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市役所の出張所としてお城の雰囲気の建物があります。
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御着城跡の公園内にある顕彰碑
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目薬の木
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祖父:重隆と生母(明石氏)の墓
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天川橋
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参考資料:ひめじの官兵衛など


世界遺産姫路城
池田輝政が、1601年(慶長6年)から8年掛けた大改修で現在の形を作り上げました。現在は、平成の大修理中で、2014(平成26)年まで覆われています。
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秀吉時代の姫路城
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姫路市御国野町御着 (地図

2013.10.02

黒田家発展のルーツ 広峰神社(兵庫県姫路市)

黒田寛兵衛の祖父:重隆のころ、祖父と父:職隆(もとたか)が姫路に来て、広峰神社で御師(おし)として、信徒に御札を配り、そのとき一緒に家伝の目薬を売って財をなし、その成功で御着城主(ごちゃく):小寺氏に見込まれ家臣になりました。その頃は、姫路から東へ約4K行った御着の方が栄えていました。

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広峰神社
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本殿
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眼下にに姫路城が見え、その先には、瀬戸内海が一望できます。(クリック拡大)
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黒田官兵衛のPR旗があります。
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黒田家家臣図
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黒田官兵衛物語(クリック拡大)
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716(霊亀2)年に遣唐使として唐に渡った吉備真備が社殿を建立し、暦を司る祭神を祀っている。
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姫路市広峰山52 (地図


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