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2013.09.11

竹久 夢二の生家を訪ねる

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884(明治17)年9月 - 1934(昭和9)年9月
日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。

大正ロマンを代表する画家で、数多くの美人画を残しており、その作品は「夢二式美人」と呼ばれている。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。


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生家
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奥の左に夢二の家があります。
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少年山荘(生家の近くにあります)
Photo


クリック拡大
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宵待草   作詞:竹久夢二  作曲:多忠亮

待てど暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな

暮れて河原に 星一つ
宵待草の 花が散る
更けては風も 泣くそうな

(2番は西條八十によって歌詞が加えられました)
1910 年(明治43年)夢二27歳の夏、岸たまきと2歳の息子虹之助を伴い、房総方面に避暑旅行する。その時、たまたま当地に来ていた女性、秋田出身の長谷川カタ(賢:当時19歳)に出会い心をよせるが、この夏は別れ、翌年、再びこの地を訪れた夢二は彼女が嫁いだことを知り、自らの失恋を悟りよんだ歌です。


生家の場所:岡山県瀬戸内市邑久町本庄

【 地図 】

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コメント

shikataさん
訪問とコメントありがとうございます。

私は、美術館には行ったことがありません。
夢二は、今でも人気の画家ですね。

岡山県の竹久夢二美術館は行ったことがありますが、生家は行ったことが無いです!
このようなところでしたか!

おやじギャルさん
訪問とコメントありがとうございます。

おやじなのかギャルなのか、ギャル的おやじなのかおやじてきギャルなのか迷いますね。

こんな適当なブログへの訪問ありがとうございます。

秋になりましたので、ブログも更新していくつもりです。

今、書こうとしてるのは、黒田寛兵衛の史跡です。

来年の大河の予告編みたいなものです。

いつも、夢の広がる旅をされてますね~
日々の生活でいっぱいいっぱいの中で気持ちは同じ所に旅行させていただいてます(* ̄ー ̄*)
季節の良い時期、近場で散歩程度の旅もどんどんアップして下さいね
楽しみにしています(*^ー゚)bグッジョブ!!

みねこさん
訪問とコメントありがとうございます。

来年の大河ドラマ:黒田寛兵衛の史跡を訪ねて岡山に
行きました。その帰りに立ち寄りました。
多くの恋をした夢二だから書けたうれいのある夢二美人
なんでしょう。

またまたよい旅しておられました(^_^)/
夢二のことはあまり知らなかったので少し賢くなりました
居ながらにしてお勉強ができて最高です(*^_^*)

シネマさん&しずかさん
訪問とコメントありがとうございます。

シネマさんも行かれてましたか。
夢二は、多くの女性とつきあったから、女性を
描くのが上手だったのでしょう。

しずかさん
芸術一家ですね。
しずかさんは、音楽やりながら、猛烈歴女でも
ありますね。
日本画にも興味が出てこられたとは、
又、忙しくなりますね。

私の祖父は、美術の教師でした。
竹久 夢二は、母の好きな画家なので、私もその影響を受けています。
最近になって日本画に目覚め、美術展に足を運んでいます。

竹久夢二美術館、お腹が大きいときに行きました~

なつかしいにゃ~

merryさん
訪問とコメントありがとうございます。

生家は岡山です。
黒田官兵衛の史跡を訪ねたついでに寄りました。

夢二は、もてたようですね。

付き合った女性を思い浮かべながら、絵を描いたのでしょう。

ラ・メールさん。

竹久夢二の生家って、岡山県にあるのでしょう?
遠い所へ行かれましたね。

私は「宵待草」の歌が大好きです。
月をみると、この歌が頭の中を流れます(笑)

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