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八重の桜の史跡訪問で訪ねた会津若松が野口英世と関係のある土地だと知りました。
野口英世は1876年11月9日に福島県翁島村(現在の猪苗代町)で生まれ、北に磐梯山、南に猪苗代湖という豊かな自然のもとで、感性豊かに生活しました。
1歳の時、火傷で左手が癒着した、左手に火傷を負った幼い清作(野口英世の幼名)は、百姓になることができないため、学問で身を立てて行くために、勉学に勤しみました。会津若松市にある会陽医院で左手の手術を受けました。その時、清作は医学の素晴らしさを知り、高等小学校卒業後、左手を手術した病院に書生として勤務しています。
細菌学の研究に主に従事し、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年5月21日、アフリカのガーナのアクラにて51歳で死去。
野口英世青春通りは、野口英世が貴重な青春時代(16歳~19歳)過ごしたことから名付けられるようになった。
野口英世青春広場
野口英世青春通り
広場の中に会津藩の石垣を残しています。
野口英世青春広場(ホテルニューパレス前)
福島県会津若松市中町1-23(地図)
暦応(りゃくおう)の碑なる古い石に文字を刻んだ史跡があります。年号:暦応5年(西暦1342年)と刻まれています。年号をとって、暦応の碑と言われています。宗教関係のものらしいですが、詳しくは分かりません。
近くに義経を追ってきた女性が義経に会うことができず、嘆いて自殺した場所の碑があります。
皆鶴姫の碑
福島県会津若松市河東町 (地図)