« 永平寺 | トップページ | 出石 大河ドラマ八重の夫:川崎尚之助の故郷 »

2013.05.01

風情を残す出石の町(兵庫県) 出石城 辰鼓楼

出石は、古事記、日本書紀にも出てくる古い街です。室町時代には、山名氏が但馬を制圧、そして城を築いた時より出石が但馬の中心となりましたが、戦国時代、織田軍に攻められ、城を落城しました。


小出秀家が東軍に属して関ヶ原本戦にて活躍した功績により戦後、徳川家康から6万石の所領を安堵された。

1706(宝永3)年、信濃国上田藩より仙石政明が入り、仙石氏の支配で明治時代まで至った。

1824(安政7)年、藩主仙石政美が死亡するとお家騒動が起こり、入国時、5万8000石あった石高も、久利(ひさとし)の時代に3万石となった。

1871(明治4)年)、廃藩置県により出石県となる。その後、豊岡県を経て兵庫県に編入された。


出石地図(兵庫県豊岡市) 
8


出石城
4


Photo Photo_2


本丸 二の丸跡
Photo_3 Photo_4


三の丸跡
4


石垣 感応殿
Photo_5 Photo_6


Photo_7

この社殿は感応殿といい、出石藩主仙石氏の祖権兵衛秀久公をまつっています。公は美濃の人で、豊臣秀吉に仕えました。その豪勇のほどは大盗賊石川五右衛門を捉えた豪傑として伝説化されています。仙石氏は、公のあと子の忠政が信州上田に移り玄孫政明が宝永三年(1706)に出石に移封されて五万八千石を領し以来、廃藩まで七代百六十三年間続きました。明治に入って旧家臣らによって本丸跡に公をまつる感応殿が建立され今日に至っています。
『出石城跡案内板の内容』


辰鼓楼(しんころう 明治初期の時計台 観光の街:出石のシンボルです)
54


34


8_6


24


出石観光協会は こちら


出石の詳細地図はこちらをクリック


« 永平寺 | トップページ | 出石 大河ドラマ八重の夫:川崎尚之助の故郷 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございます。

桜は、一瞬で散りますね。それがいいのかも。

お城と桜は定番です。

出石は、こじんまりしていて、一日で回れます。

春は桜とお城がマッチして美しいですね。
今年はもう桜は終わってしまったので、
来年にでも遠征の計画を立てようかしら。
案内図もあって、観光しやすそうなところですね。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございます。

風情のある街です。
山の中にあって、交通の便も悪いところが
よかって、街が開発されなかったからでしょう。

ここは、そばが有名です。

讃岐にもこんな街あるでしょう。
もちろん、うどんがおいしいところなんでしょうが。

出石~いつかいってみたいですにゃ~ん

merryさん
訪問とコメントありがとうございます。

出石に行った時がちょうど桜満開の時期でした。

お城には櫻は合います。

清く散る所が武士道と合っているからでしょうか。

出石は、ソメイヨシノのあと枝垂れ桜が咲くので、ながくお花見が楽しめるそうですね。

城跡と桜・・絵になります。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 風情を残す出石の町(兵庫県) 出石城 辰鼓楼:

« 永平寺 | トップページ | 出石 大河ドラマ八重の夫:川崎尚之助の故郷 »

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

紹介ブログ