出石 桂小五郎が隠れ住んだ街
出石の街中に桂小五郎が隠れ住んだ家跡があります。
桂小五郎が隠れ住んだ家跡
1864(元治元)年7月8日(旧暦6月)、長州、土佐藩中心の尊皇攘夷派の志士が集まっていた池田屋に新撰組が急襲し多くの志士が殺傷されました。桂小五郎は、屋根伝いに逃走、近くの対馬藩に逃げこんで助かりました。
同年8月(旧暦7月)の禁門の変(蛤御門の変)で長州藩は敗れて、長州藩士狩りが始まると桂小五郎は、出石に逃げて250日間潜伏生活をしていました。
桂小五郎は、逃げるのが上手かったようです。出石に会津藩の追手が来たときくと城崎(兵庫県城崎温泉)にも逃亡しています。
桂小五郎潜伏した家の辺り
木戸孝允(たかよし) 幾松の墓(京都霊山護国神社)
左奥に見えるのが幾松の墓
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コメント
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桂小五郎は、逃げの小五郎とアダ名されたそうですが、その後政界で活躍できたのは、やっぱり命あっての物種。命を大切にしてこそ本懐を遂げることができるのですね。
桂小五郎も立派だけれど、幾松も立派。
いつもそう思います。
投稿: merry | 2013.05.09 13:28
シネマさん
訪問とコメントありがとうございます。
連休中なのに、早朝から訪問ありがとう。
小五郎は、変装の名人だったようです。
出石では、他にも隠れていた場所があるようです。
投稿: ラメール | 2013.05.05 11:09
250
日間は、すごいですね~透明人間になれたのかな?!
投稿: シネマ大好き娘 | 2013.05.05 06:11