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2013.03.28

明石と宮本武蔵

1617年7月〔元和3年(げんな)〕、小笠原忠真(ただざね)が信州松本から明石に国入りする。義父の姫路城主本多忠政と相談し人丸山に新城を築く。
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その時、町づくりに本多忠政の長男忠刻(千姫の夫)の客臣宮本武蔵が姫路から明石に来て小笠原家の客分となり、明石の町割りをしました。(播州明石記録)

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お茶屋
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大滝
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小滝
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宮本武蔵
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武蔵は、明石滞在中に、自分の剣に「円明流(えんみょう)」という流名をつけています。円明は、月の名所である明石の月からきています。

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コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございます。

京都入りで、今回は、何処へ行かれるのですか。

京都は、知り尽くしておられるでしょう。

天気がよいことを祈っています。

たしかに顔で判断してはいけませんね(^_^;)

明日の晩、高速バスで京都入りします。

週末お天気が悪そうですが・・・

しずかさん
訪問とコメントありがとうございます。

武蔵の顔からは、繊細な絵を描いたのは想像しにくいです。

しかし、なかなかの絵を描いています。

庭を作ったり、町割りをしたりと建築家の素質もあった

ようです。

顔で判断は難しいですね。

武蔵が作庭した庭があるのですか。

↑の表情から見ると、そのようなことができるように見えません(^_^;)

剣豪のイメージがあるからでしょうね。

shikataさん&シネマさん
訪問とコメントありがとうございます。

shikataさんは、武蔵の掛け軸も持っておられるのですか。
さすがに趣味が広いですね。

シネマさん、お茶屋さんは、殿様の迎賓館ですから、
お客を迎えた時は、明石の銘酒でもって饗したでしょう。
神戸灘の酒は、有名ですが、明石は、灘の西にあって
西灘と言われ、明石の酒は美味しいようですよ。

武蔵、ちょい怖いですね~

お茶やさんには、お酒あるのかな?!

宮本武蔵は凄く絵を書いています。京都で有名なのは東寺の観智院の鷲の図、竹林の図で特別公開で2回見ています。相国寺で「枯木鳴鵙図」の模造掛軸を購入して、時々掛けています!

merryさん
訪問とコメントありがとうございます。

二刀流で名をあげた武蔵、都市計画、庭園作りから絵を
描いても一流だったようです。
当時の天才だったのでしょう。

私なんかは、武蔵の足元にも近づけませんが
おほめをいただきありがとう。

宮本武蔵といえば、剣豪のイメージですが、町割りや作庭もしたのですね。

優秀な人は、何でもこなすのですね。

ラ・メールさんみたいに・・

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