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2013年1月

2013.01.21

インド旅行 7日目最終日 帰路

【インド旅行いろいろ】
●ニューデリーを中心とした北インドの旅のベストシーズンは、11月~3月です。ほとんど雨はふりません。温度は、20度~10度くらいで秋の終わり頃の温度です。4月~6月は温度が一番高く40度~25度くらい。7月~8月は、雨季で雨がよく降る。インドは、面積が広いので、北と南、西と東で気候は全く違います。

●短期間で多くのインドの観光スポットを周るのなら北インドです。ニューデリー、ジャイプル、アグラの黄金三角地帯、それにペナレス(ガンジス河)をプラスしたのが今回の旅です。

インド地図
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●費用は、旅の仕方で大きく違います。
体力と度胸と時間のある人なら、格安航空券(25000円くらい)と安宿、安食堂、移動は鉄道2等、バスなどを使えば、一日1500円くらいで旅ができます。全ての交渉は自分でやる必要があります。
ツアーなら旅行会社が全て用意してくれまので、ツアーに申し込めば、現地では、食事時の飲み物代くらいで、飲み物は、200ルピー(300円)前後ですから2000ルピー(3000円)くらいあれば十分です。
ツアー代金は、今回の6泊7日の旅なら約15万円~30万円くらいです。高くなるとホテルのグレードが上がり、少人数でも催行され、ガイドつきです。
飛行機が乗り継ぎの場合は、10時間くらいかかります。けっこう退屈なので、新聞、雑誌、映画などで時間をつぶしたいとき、日本の航空会社なら日本語で映画など見れますが、インデ航空ならヒンヅー語の映画になりますので、全く意味がわかりません。機内食も日本の航空会社の方がいつも食べなれている味です。
時差は、日本より3時間30分遅れ。日本の正午は、インドでは、8時30分です。

デリーで中華の夕食をとって、空港に行き、23:15発、香港経由、翌日の13:40(日本時間)に関西空港に無事着陸しました。

エアインディアの機内食(インド~香港間)
コッペパンみたいなパンが入っており、これだけ食べたら満腹です。
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エアインディアの機内食(香港~関空間)
日本人向きにそばが入っています。
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雲海
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土産は、即席カレーかと思って買いましたがカレー味のパウダーです。これで汁、煮物などの味付けをします。本当は、買う気は無かったのですが、インド貨幣は円、ドルなどに、両替してくれないので、持っていても仕方ないからこれを買いました。一つ400円くらいでした。
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【旅の感想】
インド旅行では、日本にいると経験できないことが沢山ありました。多くのインド人は、一日200円以内の貧しい生活をしています。そして、街は、人があふれ、牛、犬、像、ラクダなどが普通に歩いており、道路にはその糞が転がって、人の出すゴミと混じり合ってあふれています。車は、ルールがあるのかと思うほど我先にとクラクションを鳴らして猛烈なスピードで走っており、観光地に行けば、物売りと物乞いがつきまとい離れません。貧富の差は大きく、カースト制度は、廃止されたとは言え、まだまだ生活のなかでは、残っています。カースト制度で特に驚いたのは、不可触賎民(アンタッチャブル)の存在です。カースト制度のまだ下に位置して、触れただけ、目にしただけでも汚れるものとして差別されています。人のいやがる仕事をしたり、物乞いだったりして、その身分から抜け出すことはできないとのことです。1億人くらいいるらしいです。

こんなインドも、原爆を持って、自動車販売台数では世界第5位、インターネットはどの街でも接続できるくらい発達しています。近年、日本に追いついてくるのは、間違いありません。人口の10%が金持ちになったら、日本の人口と同じ1.2億の富裕層ができます。親日的であるこの国とは、いい関係で付き合ってゆく必要はあるでしょう。

これでインド旅行記は終わりです。
お付き合いしていただきありがとうございました。

2013.01.19

インド旅行 6日目午後  デイリー クトゥプ・ミナール

【インドいろいろ】
●日本の添乗員さんに最初に言われた注意事項は、 「生水は絶対に飲まない、生野菜は絶対に食べない」 です。インドに限らず、外国に行ったら生水を飲まないは鉄則です。
食事の時は、コーラー類かビール、インドの飲み物としてラッスィー(ヨーグルトに砂糖と水を加えたもので大変甘い飲み物)を注文します。インドの人は、一日になん杯も甘いチャイ(紅茶)を飲みます。コーヒーはネスカフェ(インスタント)です。

●チップは、欧米ほどかならず払うという習慣はありませんが、何かを頼んでしてもらうと10~20ルピー(15円~30円)くらいを払う必要はあるでしょう。部屋に入ろうとした時、ボーイみたいな若もんが走ってきて、荷物を奪いとって部屋に入り、電気をつけて荷物を置いてくれました。別にしてもらはなくてもよかったがこれはチップを払った方がいいと思い10ルピー渡したら、まだ何か言って部屋を出ようとしません。たぶん、もう少しくれと言ってるようでしたが、「NO NO、OUT (もう払わない、早く出て行ってくれ)」とはっきり断りました。はっきりと言わないといつまでも部屋に居座ったり、ホテルと関係のない人がいたりするので用心した方がいい。又、むこうから親切に何かしようとしたときは注意した方がいいようです。日本人は、金持ちと思われているので、お金をせびられます。 
そして、こんな時ように、いつも10ルピーを何枚か用意しておく必要があります。

●ヒンズー教では、牛肉は食べません。イスラム教は豚肉を不浄なものとして口に入れません。そこで、肉料理には、マトン(ヤギ)の肉かチキンが出ます。インドには、日本式カレーライスはありません。香辛料で煮込んだサラッとした汁を米やナンと一緒に食べる。

●北インドでは、ヒンズー語が通常の言語です。インド全体では、比較的通用するのが英語のようです。しかし、会話できるほど英語が喋れるわけでもないので、簡単なヒンズー語を紙に書いて、それ見ながら一言。
こんにちは・・NAMASTE(ナマステー)、 ありがとう・・DHANYAVAD(ダンニャワード)
はい(YES)・・・JIHAN(ジーハーン)、   いいえ(NO)・・・JINAHIN(ジーナヒーン)
こんな簡単な言葉でも喋ると笑顔が返ってきます。


ジャイプルから約265K、6時間30分かかって、14:30に昼食のインド料理店(デリー)に着きました。


昼食のレストラン(クリック拡大)  
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デリーの街に入るときれいなビルが建っています。ここにはパナソニックが入居しています。そして、デリーほどの街でもゴミの山と牛がいます。(クリック拡大)
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女子校の下校時  地下鉄駅(クリック拡大)
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デリーの車が渋滞しているほどの道路ですが馬や馬車が通っています。(クリック拡大)
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インド旅行最後の観光スポットです。

クトゥプ・ミナール(世界遺産)
ヒンズー、イスラム両様式が混ざった高さ72.5M、基部直径14.3Mの塔(現在は登れません), 隣には、インド初のモスク跡があります。奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクが、ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して、1200年ころに建てました。
塔の隣に高さ7Mの鉄柱が建っています。紀元300年ころに造られたものとされ、鉄の純度100%近く、いまだに錆びていません。この時代にこれだけの技術があったことが驚きです。


塔と鉄柱(クリック拡大)
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建物と回廊(クリック拡大)
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建物の彫刻(クリック拡大)
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1312年にハルジー朝のアラウディーンが、アイバクが建てた塔の2倍の高さの塔を建てようとしたが暗殺され塔建設は中止され基底部のみが残りました。基底部の直径25M。
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塔(クリック拡大)
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夕食は中華料理でした(春巻き 餃子 クリック拡大)
インド料理攻めから開放された感じで久しぶりの中華は美味しかったです。
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中華料理店(クリック拡大)
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夕食後は、空港に行って帰路につきます。

2013.01.17

インド旅行 6日目午前 ジャイプル 風の宮殿

【ホテル】
旅の疲れを癒してくれるのがホテルです。今回の旅行では、観光日程を終えて、ホテルでの夕食が3回ありました。夕食をとったあとは、風呂に入って寝るだけですので、とりあえず風呂とベッドがあったら十分です。ホテル内を見て回ったり、街に出て散策する時間もありません。ホテルのレベルは、旅行会社の等級が3段階に分かれていて3番目のクラスでした。1日目のシャワーが壊れていたくらいで、部屋は清潔ですし、空調も適温で、休むのには十分でした。ホテルをどのクラスにするかで旅行代金はかなり違ってきます。3段階より下のクラスのホテルは沢山ありますが、ツアー客用としては、この程度が一番下でしょう。


宿泊したジャイプール パレス ホテル
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ジャイプルの旧市街は、1728年にこの地方で勢力をもつ王様:サワーイ・ジャイ・スィン2世によって造られました。7つの門をもつ城壁で囲まれ、道路は、整然と縦横に走り、宮殿や古い建物がそのままの姿で残っています。街並は、ピンク一色で統一されておりピンクシティとも呼ばれています。


風の宮殿
旧市街の大通りに面して、奥行きが非情に狭い5階建ての建物。彫刻を施したテラスがびっしりと並んで、夫以外に顔を見せてはいけない宮廷の女性たちがここから街を見下ろしていました。
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彫刻を施したテラス(クリック拡大)
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新市街  商店街 (クリック拡大)
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バスから見えた城(メへランガール城だと思います クリック拡大)
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運搬用ラクダ  観光用像(山頂のお城観光時に乗れます 900ルピー 約1350円くらい)(クリック拡大)
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朝8時にホテルを出発して、風の宮殿を見て(約10分)、デリーへ向かいました。約265K 5時間のドライブです。舗装はされていますが、デコボコ道なので疲れます。予定時間をオーバーして約6時間30分かかって14:30に昼食のインド料理店(デリー)に着きました。

サービスステーション
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次回は、デリーで最後の観光スポット:クトゥプ・ミナールを訪ねます。

2013.01.15

インド旅行 5日目午後 ジャイプール シティパレス

【電圧とプラグ】
電圧は、日本では、東日本では50Hz、西日本では60Hzの交流100Vが使われている。 インドの電圧は220~240V、日本国内用の電気製品をインドで使う場合、変圧器が必要である。
プラグのタイプは、日本のようにに全国統一の単一プラグではなく、地域によって、建物によって、同じ建物でも部屋ごとに違う場合があるらしい。主なタイプは、B3,BF,B,Cで、今回は主にBをよく使いました。持っていった電気器具は、カメラバッテリー充電器、電気カミソリ、ヘヤードライヤー。ヘヤドライヤーは、ホテルに備え付けとあっても故障している場合があります。インターネットの接続は、今回宿泊したホテルでは、全て可能となっていました。料金はどうなっているのかは不明。
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【ジャイプル観光】

シティ・パレス
ジャン・シン2世によって1726年に造らえた。ジャイプルの街の中心に位置して、現在もマハーラージャが住んで居られます。又、博物館としてマハラージャが着た衣類、馬車、宮中で使った楽器などが展示されています。一部の展示館では撮影禁止で、撮影すると500ルピーの罰金が課せられます。

マハラジャの住まい(旗があがってるので室内におられます)
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謁見の間
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ピンク色が鮮やかな建物(展示室になっています)
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来客が宿泊していた施設
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銀の壺
1902年、英国エドワード7世の戴冠式に出席したマハラジャが沐浴をするためにガンジス河の水を入れて持って行った大壺です。世界で一番大きな銀製品としてギネスブックに登録されています。
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天文台(世界遺産)
サワーイー・ジャイ・スィン2世が約7年かけて1734年ごろに確立した天文計測器類です。日時計、星座義、天体経緯儀があって、太陽、月、星の観測に基いて暦の制作をはじめ、雨季の到来や日照り、洪水、収穫の予測などを行った。天文台は各地にもできましたがここ:ジャイプルのものが一番大きいです。しかし、望遠鏡の到来とともに時代おくれになっていきました。
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ナリヤ・ヴァラヤ・ヤントラ
太陽が北半球か南半球のどの位置にあるかを測定した。
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ラグ・サムラート・タントラ
白い半分の円は、20秒単位でジャイプルの時間を決めました。傾斜のある階段は、高さ27.4Mで北極星を指しています。マハラジャは、観測機は大きいほど正確に測定できると信じていたようです。
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これらの観測機は、280年以上もたった現在でも、占星術が盛んなインドでは、現役で使われています。


アンベール城
市の北東11Kの小高い岡の中腹に建てられた巨大な城。築城のはじまった16世紀には、ここがアンペール王国の首都でした。以後代々の王の時代に増築され、現在の形になったのは、1727年にジャイプールに遷都する直前でした。


岡の中腹にありますので、ジープで行きます。昔は、王様は像に乗って登りましたが、現在は観光客が像に乗って登ることもできます。
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この城門から入ります
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宮殿広場です
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謁見の間
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世界で最も美しい門と言われています、ここからが王様の私的な内殿です。(クリック拡大)
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宮廷内にある庭
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宮廷内にある王様専用のプール(水をどのように運んだのか)
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宮殿から見た下の湖と湖庭園(クリック拡大)
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城下街 周りの山にも城壁があります(クリック拡大)
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城の近くの湖にある水の宮殿
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宝石店と生地店を周ってホテルで夕食です
宝石店の職人さん
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いつも通りのバイキング形式インド料理の夕食
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明日は、最後の観光です。そして、夜デリー空港から帰国


2013.01.13

インド旅行 5日目午前 アグラ 廃墟の街

【インドのトイレ事情】
空港、大型ホテル、レストランなどのトイレは清潔ですし、使用に問題はありません。昼食を食べたレストランでは、入口に男性が立っていて、人が通るたびに扉を開け閉めしていました。たぶん、この人は、この仕事のために雇われているのでしょう。勿論、無料でした。

旅行で移動しているときのトイレはどうなるのかです。観光施設では、トイレはありますが必ず入口に人が立っていて使用料10ルピー(約15円)を払います。高速道路でのサービスセンター或いはその他ガソリンスタンド、道路沿いのレストランでトイレを使った場合も、10ルピー払います。しかし、これが正規の使用料なのか個人的に集めているのかよくわからない。トイレ休憩で止まったあまり大きくないホテルでは、やはり入口に男性が立っていて手を出してくる。10ルピー払うとOKのようでした。その時、10ルピー(約15円)無かったので100ルピー(約150円)出してお釣りをくれと言ったなら無視されてしまった。これが、インドでお釣りをくれないことは普通のことですと言われてたことです。バスに帰ってそのことを話したら、払わなかった人がいたり、女性のところには誰も居なかったので全員払わなかったと言ってました。トイレ掃除するために雇われている人の収入源なんでしょう。15円はインドの人にとっては、立派な収入なんです。20年ほど前の中国の公衆トイレには、仕切りがなかったのに驚いたがインドでは、仕切りはありました。

郊外にゆくと、トイレ、風呂のない家がまだまだ沢山あるようです。風呂につかる習慣はなく、シャワーです。シャワー設備があるのではなく、水をかぶる、水で体をふくです。道路際に水道の蛇口がならんでいて、男の人が体を洗っていました。トイレは、屋外で済ませます。天然トイレです。女性は、暗い内に起きて済ませるとのことです。


アグラのマンシング パレスホテルで宿泊でした。
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朝6時からヨガ体験に参加しました。ヨガ仙人みたいな人が指導してくれるので本場のヨガを体験できると思ったら、スポーツジムのストレッチ体操みたいなものでした。
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朝食はいつものバイキングです。もう飽きてきたし腹の調子も悪いので少しだけにしました。牛乳は、昨日から止めにしています。
朝食と朝食会場
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【アグラ観光】

ファティープル・シークリー(世界遺産)
アクバル帝が預言者の言葉に従って、1571年にアグラ市内から37K離れたこの地に首都を移しました。しかし、水不足のために、14年居ただけで再びアグラに還都しました。あまり使ってないので、きれいなままで残っています。アクバル帝の理念である、ヒンズー教とイスラム教の融和をはかった工夫がされている建物です。


(クリック拡大)
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室内の飾り
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アグラ観光を終えて、バスでジャイプールへ移動です。高速道路なのか国道なのかよくわかりませんが街の中を走ったりしていたので、国道なんでしょう。(約230K 約4時間30分)


A.C.ROOMS&レストランと書いてあるところで休憩です。A.C.ROOMSは、冷房付きの部屋の意味なのかよくわからない。
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ジャイプールに着いて、昼食は、旅行の日程表にターリー料理と書かれていたので、どんな料理か期待しました。
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ターリーとはヒンディー語で「ステンレス製の大皿」という意味で、大皿にカレーが並んでいます。インドのカレー定食みたいなもんでした。車に揺られたあとで食欲もなく、毎回食べているカレー味でしたので、特に美味しいとも思はなかったです。単純に空腹なら美味しいんでしょう。

街の中を歩く像
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色どり鮮やかな衣類を売っている店 インドの人は原色が好きなようです。
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ソニー、スマートフォン サムスン、ノキアなどと書かれている店
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蛇使いのおじさん この写真は、歩きながらシャッターを押したのですがそれを見つけたおじさんがすばやく駆け寄ってきて 「10ダラー(約800円)」と言って手を出してきました。大道芸人さんなので写真代なんでしょうが、10ドルとは、えらいボッタクリだと思い、とりあえず10ルピー(約15円)だしたら受け取って帰っていきました。これが、とりあえず吹っかけろと言うインド式商売なんでしょう。
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車の修理屋さんなのか???(クリック拡大)
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午後は、ジャイプール観光です。世界遺産になっている天文台など。


2013.01.11

インド旅行 4日目午後 アグラ タージマハル

【お釣りをくれない】
買い物して注意したいのは、500ルピー札(約750円)を出して、300ルピー(約450円)の物を買ったので200ルピー(200円)お釣りをもらえるかと言えばかならずしももらえるとはかぎらない。どうしても、高額の紙幣しかなかったら買う前にお釣りをもらえるか確かめてから買ったほうがいいようです。インドでお釣りをもらえないのは、そんなに珍しいことではないようです。

10ルピー(15円くらい)
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ドライブでぐったり疲れてアグラに着きました。昼食は、レストランでのインド料理です。食欲ありません。
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どこでも同じ料理です。今日は、ナンにしました。
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【アグラ観光】


タージマハルまで、オートリキシャに乗りました。
どこの街に行っても走り回っている小型オート三輪で二人乗りくらいですが、今回は、4人乗りました。定員は何人なんだ???町では、あふれるくらい乗っているリキシャも見ました。今回は、ツアー料金に入っていますので、料金の心配はありませんが、原則は、メーター制らしいですが、料金は交渉しておいてから乗った方がいいらしいです。はっきりさせておかないと料金はふっかけられるは、遠回りして行くは、指定の場所に着かないは、いろいろトラブルもあるようです。第二次大戦前に日本から輸入した「人力車」がその語源らしいです。

オートリキシャ
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【タージ・マハル】
広々としたヤムナー河のほとりに立つ白いドーム、世界一美しいお墓と言われています。ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャーハーンの妃ムムターズ・マハルが1631年に37歳で亡くなるとその死を悲しんだ皇帝が22年の歳月をかけて1653年に完成させた妃のお墓です。そのために国が傾いたとも言われています。皇帝とお妃の間には14人の子供がいました。

正門
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世界一美しいお墓:タージマハル(クリック拡大)
白大理石で造られており、基壇95M、高さ67M
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【アグラ城】
1565年に、アクバル帝が築きました。

第5代皇帝シャージャハーンは自分の息子に幽閉され、そこからタージマハルを望んで、亡き妃を偲んでいたと言われています。1666年に74歳で死亡。死後は、タージ・マハル内の妃の墓の横に葬られました。
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左上の塔あたりに幽閉されていました。
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幽閉された部屋から見たタージ・マハル(クリック拡大)
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アグラ城内のサル(神の使いとされています)
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町中の風景
アグラの街でも牛は、悠然と歩いています
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ラクダの乗り物  庶民が利用するレストランです
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大理石店(大理石のタージ・マハル)
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宿泊ホテルでの結婚式場
夜の10時ころから始まり、翌朝6時ころにヨガ体験で起きたらまだやっていました。インドの結婚式は長いようです。全てお坊さんが仕切ります。お見合い結婚が主流らしいですが、このごろは、恋愛も増えているとのこと。
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宿泊場所のマンシング パレス ホテル
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2013.01.09

インド旅行 4日目午前 デリー フマユーン廟

【物売りと物乞い】
観光地めぐりで閉口するのは、バスを降りるとかならず寄ってくる土産物売りと物乞い、女が赤ちゃんを目の前につき出して物乞いする姿には、気の毒だと思い、少しくらいならあげてもいいが、そうすると他の物乞いがつきまとってくるだろうし、本当に恵んでもらわないと生活ができないのか、単に金儲けでやっているのかわからない。

そして、いらない、恵まないと手をふってもひつようについてくる。誰を狙うか決めると他にはめもくれずについてきます。はじめは、NOと手を振っていましたが、完全無視が一番いいようです。インドに来るアジア人は、日本人とわかっているのか、簡単な日本語で話しかけてきます。そして、何故覚えたのか、「ナマムギナマゴメナマタマゴ」と早口言葉を流暢に使ってこちらの気をひきます。

売りつけるものは、史跡を日本語で書いた本、数珠、絵はがき、あやつり人形、孔雀の羽で作ったウチワなどで、500ルピー(750円くらい)~100ルピー(150円くらい)くらいの物です。なかには、ボールペンを売りつけにきたこともあります。何故なの???


午前中は、デリー観光で、その後、高速道路を200K走ってアグラに行き、インド最大の観光スポット:タージマハル見物となります。


デリーの史跡

フマユーン廟(世界遺産)
ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの廟(お墓)で、1565年にお妃が建てられました。後にタージ・マハルはこの建物を参考にしたと言われています。遺体は、地下に埋葬されています。
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フマユーン全体図
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レッドフォート(ラール・キラー 世界遺産)
オールドデイリーの中心。第5代ムガル皇帝シャー・ジャハーンが、赤砂岩を使って建てた城。9年の歳月をかけて1648年に完成。バスの中から見るだけでした。
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インド門
第一次大戦で戦死した兵士の名前が刻んであります。
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ラージガード
建国の父、マハトマ・ガンジーが荼毘に付された場所。国葬が行われ、ヒンズー教の習慣に従い遺灰は、ヤムナー川とガンジス川と南アフリカの海に撒かれました。
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ガンジーを参拝に来たインドの女性。手をふったら、気軽に笑顔で答えてくれました。
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マハトマ・ガンジー
非暴力、不服従を唱え、1947年8月15日、独立宣言をして、イギリス国王を元首とする英連邦王国のインド連邦となる。1948年1月、暗殺される。(享年78歳)

デリー~アグラ間は、開通すたばかりの高速道路で移動です。スピードは出します、けっこう空いていましたが、デコボコ道なので揺れがひどくてチョット過酷なドライブです。日本の高速道路のような快適なドライブとはいかないです。200K  約3.5時間


サービスステーション インスタントコヒー
日本のサービスステーションをイメージしないでください。土産物が並んでいます。飲み物は、チャイかインスタントコーヒー、コーラー類くらいです。トイレは完備していますが、10ルピー(約15円)くらい払います。
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高層住宅  牛の群れ
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途中の街の風景
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広大な土地に畑が続きます。  バス
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次回は、タージマハルです。

2013.01.07

インド旅行 3日目 聖なる河ガンジス

インドで一番見たいのがガンジス河と沐浴の光景です。いよいよ、インドの母なる大河:ガンジス河観光です。

朝は、5:30にホテル出発、まだ暗い内にガンジス河近くでバスを下りて歩きます。道端には、人が布一枚かぶって寝ており、その隣りに牛がうずくまっています。ツアーの団体に遅れないように急ぎ足です。こんなところで遅れたら人に聞くわけにもいかず、心細くなってどうしていいか迷ってしまうでしょう。

バスを下りて10分くらい歩いたらガンジス河です。暗い中、多くの人が集まっており、お坊さんがお祈りをしていたり、多くの観光客が聖なる河と沐浴を見ようと集まっています。

ガンジス河は、ヒンヅー教徒にとっては、聖地です。ここで沐浴すると、すべての罪は清められ、死んだら遺灰を河に流してもらうことがヒンヅー教徒にとって最高の幸せなんだそうです。
※沐浴とは、水に体を浸すことで全てを清める宗教的な儀式、乳児の体を洗う意味もあります。

ペナレスのガトー(沐浴する場所でガンジス河にそって多くあります)が有名なようです。

ガトー入口
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ガンジス河に昇る朝日、この雰囲気は神秘的です。(クリック拡大)
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ヒマラヤから流れる母なる大河ガンジスは、3000年以上の歴史をもつヒンズー教最大の聖地で、どこまでも神秘的で雄大です。
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沐浴しようとしている人
雨季になると水面が階段の中ほどまで増水します。
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沐浴場所の全景 川辺には、お寺、王侯の離宮、宿屋などが並んでいます。(クリック拡大)
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日本人の久美子さんが経営する宿屋
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一番豪華と言われる王様の別邸
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ガンジス河観光が終わってつづいて近くのお寺に行きます。


ドゥルガー寺院(ヒンズー教徒でないと中に入ることはできません)
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バーラト・マーター寺院(インドの地図が祀ってあります)
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祀ってある地図ですが、写した時は、意味がわかって無かったので中途半端な地図になってしまいました。
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ヴィシュワナート寺院
バナーラス・ヒンドゥー大学内にあります。この大学はインドの民族文化を研究するために設立されたようです。
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観光スポットを廻りながら街の様子を見ることができました。
本当に白い牛が街の中を悠然と歩いています。ヒンズー教では、牛は神の使いとされていますので、邪魔者扱いしません。勿論、牛肉は食べませんが牛乳及び乳製品のバター、チーズなどは、食事に出ます。又、水牛は、食べてもいいようです。
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野菜市場です。ここでも牛が野菜を食べています。
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野菜市場の近くのゴミ捨て場です。
人があふれています、車が走り回っています、牛が歩いています、その道路にゴミが捨てられ、牛が餌を探しています。色んな物がごったになって、喧騒と活気が満ち溢れているのがインドなんでしょう。
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観光が終わって、ホテルに帰ってきて朝食をとり、3時間後に又昼食です。
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15:50分の飛行機でデリーに帰ります。
ペナレス空港
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又、機内食が出てきました。朝から3回、同じような物を食べているので食欲ありません。そしで、機内食は食べるの止めました。
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デリーに着いて今夜の夕食は、和食です。ごはんとうどんが出ました。同じようなインド料理ばかり食べていたのでこの和食はチョットありがたかったですが、食欲はあまりありません。
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和食:たむら
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宿屋は、一日目に泊まったアショカカントリーリゾートホテルです。1日目は、湯船はなく、シャワーもチョロチョロでしたが部屋が変わったのでこの問題はなくなりましたが、湯船から出たら水が床にあふれています。どうやら隙間からもれているようです。お湯を流したらやっと止まったのでこれでいいか。このホテルは色んなものが壊れていました。

2013.01.06

インド旅行 2日目 ブッダの聖地

今日は、ペナレスへ移動します。ガンジス河を見に行きます。ペナレスは、ヴァーラーナスィー(バナーラス)と発音するようです。

朝食を済ませて、ガンジー空港から飛行機で移動、1時間15分くらいの飛行です。機内では、おやつのピーナッツとコーヒーが出ますがあんまり食べる気がしない。1時間くらいの飛行ならなにもいりません。


ガンジー空港内
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移動中にバスから街の風景を見ました。朝の出勤時でしたので、道路に人と車があふれています。これがインドだ~~~と言う光景です。この車の流れには、交通ルールがあるのかと疑いたくなります。クラックションを鳴らして猛烈なスピードで走っています。この中を運転するのは、私は無理です。道路を横断するのも、日本人では、チョット勇気がいります。そう言えば、日本も、東京オリンピック前くらいまでは、神風運転と言われ、欧米人は怖がっていたような時代がありました。衣食足りて礼節を知るです。インドでは、一日200円以内で生活している層が80%くらいらしいです。(大阪の生活保護費 13.4万 一日約4470円)
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黄色いタクシーが走り回っています。
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街の風景です。人があふれていますが、女性の姿はほとんど見ません。
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ペナレスに到着後、今夜泊まるホテルで昼食、昨日から食べてばかりなので食欲ありません。食事は、朝食べたのとよく似たバイキングです。米粒は、タイ米より長いですが味は特に違和感はありません。写真の白いのがその米です。
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サルナート観光ブッダが初めて説法をした所(初転法輪の地)
多くの僧が修業した寺院の跡のレンガの土台が残っています。

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ダメーク・ストゥーパ(釈迦の遺骨が埋葬されている場所)
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アショカ王が建てた石柱で碑文が刻まれています。
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仏教徒の聖地です。各国から仏教徒が来て、お祈りをしています。
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ムルガンダ・クティー寺院2_10

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壁に釈迦の生涯を描いた壁画があります。これは、日本人が描きました。
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壁画は、日本人の野生司香雪(のうすこうせつ)氏が描いたとの説明があります。
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考古学博物館(仏教遺跡から出土した物が展示してありました)によりましたが、写真は全てNGでした。


仏教の遺跡が残っているわりに、インドでは、ヒンズー教徒が80%で、仏教は、普及せず、タイ、日本などに広まった。

シルク店でサリーを試着できます。
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今夜の宿泊ホテル:ヒンドゥースタン インターナショナルでの夕食
昼食べたのと同じような内容です。野菜と鶏肉とを煮たもの多いです。主食はナンですが見た感じが美味しそうでもないので、パンにしました。生野菜もありますが食べないほうがいいとのことです。
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部屋はきれいです。今夜は、湯船もシャワーも使えました。
2h

次回は、ガンジス河です。


2013.01.04

インド旅行 1日目

昨年の12月にインド旅行をしました。12月は、乾季で気温も秋の終わり頃くらいで、インド旅行のベストシーズンです。
インドを選んだ理由は、9月に中国旅行をしようとツアーに申し込んでいましたが、出発数日前に、反日デモが起こり旅行社から無料でキャンセルできると連絡があったので、無理して行くこともないかと思い、親日で、大躍進をしているインドを選びました。


出発は、関空発13:25、香港で機内待機、予定通り21:30くらいにデリーのインディラ・ガンジー国際空港に着陸、バスで22:30くらいに宿泊のアショカカントリーリゾートホテルに到着しました。
(飛行時間は、香港での待機時間も入れると約12時間くらいです。時差は、3時間30分遅いです。)

あとは、ゆっくり風呂に入って、寝るだけと思ったら、湯船がない、シャワーの水が十分に出ない。やれやれ、インド語は勿論英語も喋れないのでこの状態を説明できない、旅行注意書きにインドでは、設備が壊れている場合がありますと書かれていたのを思い出し、チョロチョロ水で体をふいて寝ました。

関空に待機中のエアー・インディア
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デリー ガンジー空港内
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機内食が2回出ました。長時間飛行では、機内食は、楽しみです。2種類あるらしく、何か言ってきたが、適当に「YES」と言ったらこれが出てきました。米粒がいやに長いです。ベジタブル系なんでしょう。適当に美味しかった。
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中間食(ピーナツにチャイかコヒー)
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アショカカントリーリゾートホテル
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室内
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今回訪ねる都市
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インドについての基本情報

1947年、マハトマ・ガンジーによって英国から独立する。親日的
人口は、約12億人で世界第2位(日本(1,26億人 世界第10位)。 
ヒンズー教徒が80%くらい、言語が多く紙幣に17の言葉が書かれている 1ルピー(Rs)は、1.4円 食後の飲み物コーラ類は200ルピー ビールは400ルピーくらいでした
面積は、3,201,446㎡で世界7位の広さ(日本の約8倍 世界第62位)。

生水は完全NG、生野菜もダメです。牛乳も注意した方がいいです。

2013.01.01

2013年 新年のご挨拶

Photo


昨年旅行したガンジス河の朝日を新年の挨拶の写真に使いました。今年の記事は、その旅行を載せます。

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