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2012年10月

2012.10.24

大鳴門橋

10月初旬に淡路島の源平の史跡を訪ねたついでに大鳴門橋に行ってみました。


淡路島から見た大鳴門橋(鳴門記念館より)
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道の駅うずしお
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橋の下から淡路島側を見る
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渦潮
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渦潮説明(クリック拡大)
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秋の朝満ちと春の宵満ちの大潮に近い時間帯は最大の渦潮になるようです。時間帯によって渦の大きさが違いますので、時間を調べて行かれるのがいいと思います。


社(道の駅うずしお)
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石碑(クリック拡大)
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歌 「鳴門海峡」(クリック拡大)
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伍代夏子さん「鳴門海峡」 こちらをクリック


大鳴門橋 (地図

2012.10.22

コーヒー

コーヒー
一休みで,いつものスタバでエキストラコーヒーとケーキで800円以上しました。美味しいです。

室津探訪 (7) 史跡跡

街中を歩いていると沢山の史跡跡の表示があります。明治以降は、鉄道もでき、船も大型になってきましたので、室津港に寄港する船も少なくなってきました。そして、昔の風情が残こされ、街並もそのまま残ったようです。


室津絵図
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千年茶屋
(250号線に沿って建っていて、この前のスロープを下りて街に入ります)
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メインストリート交差点
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路地  案内板
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大阪城石
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大阪城石由来(クリック拡大)
大阪城築造に際して運ばれて石が室津沖にて船が沈没して海中に沈んだ石。
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湊口御番所跡  灯台
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本陣肥前屋跡  本陣肥後屋跡
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たつの市出張所(姫路藩お茶屋跡)
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警察 診療所
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郵便局 司馬遼太郎の書(ポストの横にあります) 
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平清盛も西国大名もシーボルト一行も寄港した港町、来てみると思っていたより小じんまりしていて、司馬遼太郎さんの言葉通りです。コンビニも無く、ファミレスも無く、街の形は昔のままなんでしょう。そして、歴史がいっぱいある室津の港街です。


2012.10.21

室津探訪 (6) お寺

小さな漁師街ですが、歴史を感じるお寺があります。


室津絵図
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見性寺

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見性寺参道
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見性寺毘沙門天謂れ
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徳乗寺
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徳乗寺参道
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大聖寺

お城の石垣を想像するような門構えです。
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寂静寺
1575年開基、阿弥陀如来、三蔵法師が祀られています。
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2012.10.20

室津探訪 (5) 賀茂神社

平安時代の創建で、京都の賀茂神社と同じ祭神:賀茂別雷神を祀っている。平安時代には平清盛や江戸時代にはシーボルトなどが参拝した記録が残っています。


室津絵図
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本殿
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大鳥居
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拝殿
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籠神社絵図
(拡大クリック)
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1180年に清盛が高倉上皇と厳島神社に参拝した記録があります。
(清盛の屏風は海駅館に展示されています)
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(クリック拡大)
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古い神社絵図
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賀茂神社1(クリック拡大)
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江戸時代にはシーボルトも参拝しています。(海駅館に展示されています)
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賀茂神社2
(クリック拡大)
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賀茂神社 (地図
兵庫県たつの市御津町室津74


2012.10.19

室津探訪 (4) 遊女 

浄運寺(じょううんじ)の西門の外に「遊女 友君の塚」があります。

伝承では、鎌倉時代初期に木曽義仲の第三夫人・山吹御前(友君)が室津にとどまり、遊女として暮らしていました。 1207年四国讃岐に流される途中の法然上人は室津の浄運寺に立ち寄った際、友君 は上人に教えを受け出家して念仏往生したと伝えられている。本堂には、法然、友君そしてお夏の像が安置されています。

室津は遊女発祥の地とも呼ばれ、友君がその元祖だと言われています。

室津絵図
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浄運寺
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友君の塚
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浄運寺由緒(クリック拡大)
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浄運寺門
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浄運寺から見た海
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貝掘りの井戸
法然上人は、この地域に飲み水がないのを知り、貝で井戸を掘りました。その井戸が残っていますが、現在は使われていません。浄運寺から海側に下りたところにあります。
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貝掘りの井戸由緒
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清十郎生家跡
民家の玄関先に「清十郎生家跡」の石碑が立っていました。井原西鶴「好色五人女」に出てくる清十郎の生家跡です。これは実話で、お夏の恋人清十郎は室津造り酒屋の息子であった。清十郎は姫路本町の米問屋但馬屋に奉公に出され、そこの娘お夏と熱烈な恋におちました。しかし、結末は悲劇的で、清十郎は盗みの濡れ衣で処刑され、お夏は発狂した。姫路の慶雲寺に二人の墓があります。
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街内案内標識
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浄運寺 貝掘りの井戸 (地図

 

2012.10.18

室津探訪 (3) 室津海駅館 

海駅館は、廻船問屋として活躍した豪商「嶋屋」(三木)の家屋です。

建屋を見学して、展示物は次の4テーマにまとめています。、廻船、参勤交代、江戸参府、朝鮮通信使。
海の駅として、室津が海を通してどのように外部世界とつながったかが展示されています。喫茶コーナーもあります。
(参考資料:海駅館パンフレット)

室津絵図
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通りに面した海駅館
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2階居間
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2階居間説明(クリック拡大)
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2階居間から見た港の風景
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山部赤人の歌
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山部赤人の歌の説明(クリック拡大)
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宿泊した大名などに出した食事、豪華です。
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これ一人で食べたのでしょうか
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海駅館 (地図
たつの市御津町室津457

2012.10.17

室津探訪 (2) 室津民俗館 

室津民俗館は、屋号を「魚屋」といい、江戸時代には、苗字帯刀(豊野家)を許された姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。江戸時代の室津の宿駅と商業の中心的な場所に位置しています。

ここを見学したら、室津の歴史と見所パンフレットをもらえますので、見学するところを決めてまわれます。

室津絵図
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室津民俗館
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魚屋説明(クリックで拡大)
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2階居間
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隠し階段(人が一人やっと通れる幅です)
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室津は、文学作品にも多く登場します。

西鶴と室津(好色繁盛記)(クリックで拡大)
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谷崎潤一郎 「乱菊物語」(クリックで拡大)
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室津民俗館 (地図 
たつの市御津町室津306

2012.10.16

室津探訪 (1) 歴史と風情のある港町

昔の風情を残した港町室津を訪ねました。(兵庫県たつの市室津)

●神武天皇の時代に、この地に港を造ったと言われています。
※神武天皇は、初代天皇で日本書紀、古事記に出てきます。天皇即位は、紀元前660(神武天皇元年)年

●播磨風土記に「この泊り、風を防ぐこ室のごとし、ゆえに名となす」と室津の名の由来を記述しています。713(和銅6)年奈良時代

●万葉集に唐荷島や鳴島が記載されています。726(神亀3)年

●摂津五泊に河尻(大阪)、大輪田(神戸市)、魚住(明石市)、韓泊(姫路市)、室津(たつの市)として制定される。729(天平年間)年


室津港(写真クリックで拡大します)
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室津絵図
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国道250号線からこのスロープを降りて街に入ります。街の中には車を置く場所がありませんので、スロープで下りた所が駐車場になっています。
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メインストリートです。戦後見たような風景で、車は一方通行で通れます。昼頃の写真ですが、漁師町なので休んでおられるのか人影がありません。
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海と山に挟まれた狭い地域に街ができたので、家は階段状に建っています。
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1180(治承4)年 平清盛と高倉上皇が厳島神社に参拝した時、室津に立ち寄りました。(下の説明書きに年代が1190年となっていますが間違いで訂正されていると思います)
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室町時代から行われていた朝鮮通信使は、朝鮮国王の親書を日本の将軍に持参した使節団です。一行は500人前後の一行で室津港に寄港していました。
江戸時代には、参勤交代で西国大名の乗船地点として大いに賑わいました。
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本陣肥後屋模型
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食事も豪華でした。その一部です。
本膳
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お菓子
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(参考資料は、民俗館、海駅館のパンフレットなど)


兵庫県たつの市御津町室津 (地図 )

2012.10.02

鳴門海峡秋景色

鳴門海峡秋景色
淡路島の源平史跡を訪ねて来ました。鳴門大橋の見えるレストランで一服です。(ケイタイから送信)

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