« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

2006.05.29

28日大河「開運の馬」

Photo
千代が黄金10両を一を出して夫:一豊がほしがった馬を買った。一豊・千代の有名な話である。


10両もの大金を持っていて何も話さなかった千代をなじる一豊。
千代「殿が功名をたてるためにこそ使うために持っていたのです。私も殿が戦われるときは同じです」
そして、一豊は木之本の馬市に出かけその龍のような馬を買った。
信長はその話を聞いて、安土城に二人を呼びだした
「千代、そちは黄金10両で天下に山内の名を売ったわ、千代の軍略、あっぱれなり」
一豊は、その馬に乗って京の馬揃えに参加して評判をとった。

その他の話としては
お濃「私の心を許せる人は光秀殿だけです」

信長「わしは、神に仏になった」

いつも通りに3つの話題を絡ませたストーリーでした。

40
馬を買う10両を出したのは、一豊の母であったとの説もあって、長野家にその鏡箱が伝わっています。

2006.05.28

尼崎城

Amagasakijyouhi
荒木村重が逃げ込んだ嫡男が居る尼崎城は、川と海に浮かぶように建てられた城です。遺構として残っているものはありません。本丸跡は、小学校と中学校が建てられ、小学校の一角に「尼崎城跡」の石碑と城の模型があります。
Amasiromokei
Amagasakijyou

石垣は、城を復興させるためにあとで造られたものです。石垣の向こうは図書館が建っており、このあたり全体が尼崎城祇公園です。

2006.05.24

有岡城(功名が辻関連)

黒田官兵衛が幽閉されていた有岡城に行ってきました。
場所は、兵庫県伊丹市のJR伊丹駅前にあります。

1574(天正2)年、荒木村重が当時の名前:伊丹城を攻め、伊丹氏を滅ぼし城を占拠して有岡城と改称しました。
官兵衛が秀吉三木攻めの副将であった村重が謀反を起こしたので、説得に行き幽閉されたのは、1579(天正7)年のことです。同年9月に村重が城から逃げ出し嫡男の居る尼崎城に逃げ、有岡城は落城しました。そして、信長は籠城していた兵、町民を見せしめのため皆殺しにしてしまいます。
Ariokajyou



Ariokasoseki城跡には、石垣、井戸、礎石跡などがあるだけです。

官兵衛が村重を説得に行っていたころ、秀吉は三木城の兵糧攻めに挑んでいました。村重は反信長をかかげ三木城支援のための食料を運んでいました。
有岡城と三木城の距離は約40Kです。


2006.05.22

21日大河:迷える人

タイトルを見ただけでは、どんな話が展開するのか想像しにくい。

荒木村重が反信長をかかげ有岡城に籠城したのを黒田官兵衛が説得に行きそのまま捕らえられて幽閉されてしまった。信長は、官兵衛の謀反を疑い、官兵衛の息子:松寿丸の殺害を命ずる。その官兵衛が救出された。一豊が信長に官兵衛救出を報告し、松寿丸の生存を告げるとさすがの信長も直ぐに「合わせてやれ」。かくまっていたのは千代であった。
村重は、有岡城から逃げ出し、嫡男の守る尼崎城に入った。信長は、見せしめのため生き残った数百人を全て殺害してしまう。

信長は、本願寺攻略の怠慢により佐久間信盛と林通勝を追放してしまう。

あとは、三木城が開城され、飢えた人の中に小りんがいて一豊に向かって
「人が干しあがるのを待って殺すのは槍で殺すのと同じだ」と言った。
一豊は返す言葉が無かった。

今回も3ツの話題に一豊と千代をからませたストーリーでした。
タイトルの「迷える人」とは、迷い無く戦いを実行していくように思える信長を指しているのか信長の下で働く家臣たちを指しているのか。

2006.05.19

豪華昼食

Maikoh47
久しぶりに昼食を外で食べました。
場所は、明石海峡大橋の近くで「舞子ホテル」です。
大正時代に建てられた海運王の旧別荘で、そのままの状態で保存されています。
建てた頃は、明石海峡が庭の借景として見え、眺めがよかったでしょうが、今は、前にマンションが建って海は見えません。

食事は、舞子弁当で予約がないと食べれません。¥2625円
Htyushoku

2006.05.17

竹中半兵衛

Hanbeihaka47

軍略兵法家としての竹中半兵衛は、秀吉とともに各地を転戦し秀吉の知恵袋として殊勲をたてました。三木城攻防の最中に胸を病み一時、京都に帰りますが、膠着した戦況を心配してこの地に帰ってきました。しかし、病魔にはかてず、(天正7)年6月13日、36歳の若さで永眠してしまいました。
臨終にさいして、秀吉は将来の「天下人」と予言して息をひきとりました。

Hanbeihaka247
三木の平井山観光ぶどう園(秀吉本陣跡)の中の城壁に囲まれたところに半兵衛の墓があります。

2006.05.16

14日大河「天魔信長」

・織田を裏切れと言う六平太

・光秀の娘・玉と細川忠興の婚儀を命ずる信長

・摂津の荒木村重が毛利に寝返り、播磨の秀吉軍は西の毛利、東の荒木に挟撃され、窮地に陥る。

・秀吉本陣では、労咳が病んでいた半兵衛が「私が生涯愛した女は、千代殿でござった」と言って死亡する。

毎回、3~4話くらいの出来事をつないで大河が構成されています。そこに、ちょっと
一豊と千代がからんでいる。一豊と千代の夫婦の絆をテーマーにしているのでしょう
が1年を通じて見せるほどの出来事がないので、見ていてもだれてしまいます。今回も最後に半兵衛の千代への愛の告白がありましたが、その設定はないでしょう。あまりに千代がいい女すぎる設定で一豊はどんな気持ちでこの言葉を聴いたのでしょう。

2006.05.14

秀吉と金物の町三木

Kanamonojinjya300_1
兵糧攻めで別所氏を滅ぼした秀吉は、戦術として信長の戦略である焼き討ちも使って三木城下を焼き尽くしていました。そして戦後、三木城を中国攻めの拠点にするため、町の復興をはかり、町民を呼び戻し免税の立て札をたてました。これによって、町には大工職人や鍛冶屋が各地から集まってきました。

復興が一段落すると職人の仕事が無くなり、彼らは、出稼ぎに行くことになり、彼らの持参した道具の良さが評判になり、今日の「金物の町」としての基礎ができました。金物の町三木は、秀吉がその基礎を造ったといってもいいでしょう。

Tennshukakuato
三木城天守閣跡

Unryuji47
別所長治公夫婦の
首塚のある
雲龍寺

2006.05.13

秀吉本陣跡

Hiraiyamahonjin
秀吉は、三木城攻略にそなえ、別所長治が籠城作戦にでたので、三木城から約2.5Kはなれたここ平井山に本陣を置いた。そして三木城を包囲し兵糧攻めと呼ばれる作戦をとった。

現在は、平井山観光ぶどう園になっており、本陣跡には説明板があるだけです。

この間、陣中では1578(天正6)10月25日に秀吉は、将兵のストレス解消のため秀吉最初の茶会を開いています。(茶会の10月25日は旧暦です、現在の暦では12月の満月の夜です)

2006.05.12

別所長治と首塚

Nagaharukassen47
この絵は、お城内にある神社の絵馬で、別所小八郎治定は長治の弟です。

秀吉の包囲網に対して篭城作戦をとった長治も間道からの食料運搬も絶たれ敗北を認め、「長治一族は自害するから将兵、町民の命を助けてほしい」との書状を秀吉に送りました。秀吉は、若い城主の心意気に感動して、申し入れを受け入れ、酒20樽と肴を贈りました。絵の右上に秀吉本陣と書かれています。
1580年1月17日、長治は自刃しました。享年23歳
そして、約2年続い「秀吉の一番長い戦い」は、幕を閉じました。
秀吉は、明石の占部氏一人を処刑しただけで、三木城に籠城した人達は約束どおり助命しています。


Nagaharuuta2
長治辞世の歌(天主閣跡にあります)
今はただ うらみもあらじ 諸人の
命にかはる 我が身とおもえば

Nagaharukubizuka
長治夫婦の首塚
(雲龍寺)

2006.05.11

三木合戦(秀吉対別所長治)

Nagaharu1
        別所長治の像(三木城天守閣横)

1578(天正6)年5代城主別所長治のとき、羽柴秀吉軍によって包囲され、1年8ヶ月に及ぶ兵糧攻めにあい、1580(天正8)年1月17日、城主一族は領民の命を救うために自刃して三木城を開城した。一豊もこの戦いに参加していました。

城主:長治は、小三郎長治といい、13歳で父の後を継いで当主となり、織田信長と同盟関係にあったが中国地方の大大名:毛利氏に味方したため秀吉軍の包囲:兵糧攻めにあった。これを三木合戦(三木の干殺し)といわれている。
自害したのは23歳の若さであった。

Mikisiro1
城は、室町時代に築かれ播磨一帯を治めていた。江戸時代の1617(元和3)年、廃城となる。
現在は、建物はなく、公園、図書館、金物資料館、保育園などに使われています。
              ≪地図≫

2006.05.10

7日大河「秀吉謀反」

信長の命に反して北陸から戻った秀吉を信長は謀反と疑った。それをとくために秀吉は、長浜でドンチャン騒ぎをして戦う意志の無いことを示した。そこに、大和の松永久秀が信長に反旗をひるがえした。秀吉は直ぐに出陣する。そして、一豊が説得するが失敗に終わる。久秀の立てこもった信貴山城を秀吉、光秀&佐久間三軍が攻め、久秀は爆死する。

謙信の上洛は無いと見た信長は、秀吉を中国成敗に、光秀を丹波攻めへと差し向ける。

1577(天正5)年10月に出陣した秀吉は播磨の大部分を平定するが、1578(天正6)年春、三木城の別所長冶が毛利方に寝返った。そして、軍議の席に竹中半兵衛と黒田官兵衛が顔をそろえる。

一豊と千代の話であるが、ストーリーとしてはそれほど重要でもない話の中に一豊と千代が顔を出しています。そうかといって戦国物語がメインテーマーでもないので戦略とか戦いの場面などはさらーっと流しています。なにか中途半端なストーリーの流れです。次回のタイトルは「天魔信長」ですが、タイトルほどの期待はしていません。

2006.05.07

30日大河「新しい命」

この回は、6日の再放送を見ました。

千代の妊娠と出産の話。
秀吉の妹:旭の結婚の話。

ストーリーがこれで終わってしまうのかと思っていたら、最後になってチョット盛り上がりました。

対上杉対策として北陸にいる柴田勝家の援軍として秀吉は出兵を命ぜられるが秀吉の考えは、近江に誘い込みそこで一戦を交える方が有利と判断していた。そこで、総大将:勝家と故意に衝突して秀吉は引き上げてしまう。信長は、そんな秀吉に怒りを表す。

2006.05.06

花のじゅうたん

Tutujigo853





これつつじでしょうね。花の名前はわかりません。

2006.05.05

明石海峡インフィオラーター

神戸の各所で開催されている「神戸インフィオラーター2006」に負けないようにと明石海峡インフィオラーターに挑戦しています。

今回は、海をつつじで埋め尽くしてみました。前のよりできとしては、こちらの方がましかなぁ。Hasitutujigo2470c

2006.05.04

合成写真

あまりブログに書くネタがないので、今、習得中の画像編集ソフトで作成した合成写真をアップしました。
もっとやわらかな感じで合成とわかりにくい雰囲気を出したかったが上手くいきませんでした。失敗!!!

ゴールデンウイークに開催されている「インフィオラーター神戸 2006」をご覧になってください。新潟県亀田郷や富山県砺波市から球根栽培のため捨てられてしまう花びらを使って花絵を描くイベントです。Hasihanago47

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

紹介ブログ