2017.04.15

粉河寺と桜(和歌山県)

粉河寺は、奈良時代末の770(宝亀元)年の開創です。
1585(天正13)年に豊臣秀吉によって多くの堂塔伽藍、寺宝が焼かれました。
江戸時代になって、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって諸堂が完成しました。
 
当寺所有の「粉河寺縁起」(国宝)には、開創について二つの説話が語られています。
 
1)紀伊の国の猟師:大伴孔子古が山中で光るものをみつけ、そこに庵を建てました。それが粉河寺のはじまりです。その家に童行者が訪ねてきて泊めてくれと言いました。泊めてもらったお礼にと7日かけて千手観音の像を刻んでおいて行きました。孔子古は、その金色の像を見て、観音を信仰するようになりました。
 
2)河内国の長者:佐太夫の娘は重い病気にかかっていました。そこへ童行者が先手千眼阿羅尼を称えて祈祷すると娘の病は全快しました。お礼の品を差し出すが受け取らず、「私は、紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去りました。後に長者一家が那賀郡を訪ねると小さな庵に先手観音像が立っていましたので、あの行者が観音の化身であったことが分かりその場で出家して粉河寺の繁栄に尽くしました。


粉河寺はについては、清少納言の枕草子や多くの本に記述があります。それから推測すると平安時代中期・10世紀には観音霊場として有名であったことがわかります。



大門
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仁王像
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大門裏側
ちょうど桜が満開です。(4月6日)
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大門を入った所で満開の桜が迎えてくれました
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境内案内図(クリック拡大)
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童男堂
千手千眼観世音が姿を変えられて童男が祀られています
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出現池
千手観音の化身:童男行者がこの池から出現したと伝えられています。
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念仏堂
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阿弥陀如来坐像
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太子堂(聖徳太子をお祀りしています)
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中門
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本堂
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牧水歌碑(若山)
遍路の衆の打ち鳴らす
鉦鉦(かねがね)きこゆ 秋の樹の間に
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芭蕉句碑と丈六堂
「ひとつぬきて うしろのおいぬ ころもがえ」

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湯浅桜と六角堂
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薬師堂
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鐘楼と本堂と桜
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クスノキ
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このクスノキについて、寺伝によれば770年頃の記述があります
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たのもしの宮(産土神社)
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桃山時代の石庭
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御神木
和歌山県下3番目の大木で、紀伊風土記に「境内に噂の大木あり」と書かれています。
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和歌山県紀の川市粉河2787



2017.04.12

根来寺とさくら(和歌山県)

根来寺は、平安後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が1132(長承元)年に高野山内に一堂を建て、大伝法院と称したことに始まる。

その後、1140(保延6)年には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件が発生。覚鑁一門は高野山を下りて、根来にある豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移しさらに新たに円明寺を建て伝法会道場とする。
豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される。覚鑁は3年後の1143(康治2)年、この地で49歳の生涯を閉じました。

その後、大いに繁栄しますが、天下統一を目指す豊臣秀吉と対立して、1585(天正13)年大塔などを残して全山消失しました。
江戸時代になって徳川家の庇護のもとで復活して、現在の境内は36万坪、四季の変化に富んで多くの参拝客でにぎわっています。

根来寺大門

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             ポケモンGOは禁止です


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桜満開でした(4月6日)
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大伝法堂(根来寺の本堂)
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大塔(高さ40Mの木造建築で国宝)
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大師堂(弘法大師さまをお祀りしています)
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奥の院
宗祖覚鑁(かくばん)上人のお墓
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光明殿
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不動堂
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根来寺(和歌山県岩出市根来2286)

次の記事 粉河寺と桜(和歌山県)

2017.03.31

相生市PRブロガーツアー3/3 羅漢の石仏

羅漢の里は相生駅から約10K北に行ったところにあります。
ここは、感状山城跡、羅漢石仏などの史跡や自然公園内にキャンプ場、アスレチック場、創造作業場、刀鍛冶の作業場などファミリーで楽しんでいただける施設があります。


瓜生羅漢の石仏
●この石仏は、作者制作年代は不明ですが、朝鮮の僧:恵便、恵聰一行がここに隠れ住み、後世の人々に仏縁を結ぼうとしてつくったと言われています。
●また、この地域は、建武年間(1334年頃)、赤松氏の居城であった「感状山城からめ手の間道にあたり、戦国武士の霊を弔うための供養仏とも言われています。

二つの説がありますが、どちらとも言えません。


岩窟は、幅7.7M、高さ5M、奥行き4Mの中に石仏が並んでいます。
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釈迦三尊の石仏を中心に十六羅漢が安置されています。


左からの写真
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右からの写真
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石仏の前に「安産杉」があります
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羅漢石仏に行くには、渓谷の中の谷川をのぼって、石段を登り、巨岩トンネルをくぐりぬけてゆきます。

瓜生羅漢渓(クリック拡大)
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ここにもど根性大根のだいちゃんがいます

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感状山城登り口
今回はお城には、登らず、左の石仏さんへあと150M
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鍛刀場
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ごっつんこ
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供養塔
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羅漢の里:兵庫県相生市矢野町瓜生字羅漢口28番地



相生PRブロガーツアーの記事は、今回で終わりです。
 
相生が一番盛り上がるのは、5月28日(日)のペーロン祭りです。
ぜひお祭りに参加して相生を楽しんでください。
ペーロン祭りについては こちらから



2017.03.29

相生市PRブロガーツアー2/3 牡蛎食べ放題 お土産 

今回のツアーの目玉は、「牡蛎の食べ放題」です。

 食べ放題のお世話になったお店です
漁師直営の「焼きがき 大豊」さんです。
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播州辺りでは、相生の牡蛎は大ぶりの身で美味しいので有名です。
これ4人で食べきりました。
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相生牡蛎の美味しい秘密は、通常牡蛎は、育てるのに2~3年必要ですが、
相生牡蛎は、1年牡蛎です。その理由は、相生湾に流れ込揖保川と千種川(ちくさかわ)の豊富な栄養分のおかげです。
殻いっぱに身が入り、純白でぷりぷりして、加熱しても縮まず大きな身のままです。味も濃厚で一度食べたらやみつきになります。
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もう空で、追加しました。なんせ「食べ放題」 
うまい!!!  うまい!!!  うまい!!!
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ブロガーツアー一行が食べています。
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こんな値段のようです。
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ここにも「ど根性大ちゃん」登場です
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牡蛎加工場
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お土産は、湊水産さん(兵庫県相生市大島町1番1号)
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こんなお土産をいただきました
「うまいか」:(するめイカのフライ 揚げたてに近いカリカリとした食感と香ばしい風味を楽しめます。)
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焼き牡蛎:大豊

兵庫県相生市相生5133-32




相生市PRブロガーツアー3/3 羅漢の里へ

2017.03.27

相生市PRブロガーツアー1/3 万葉の岬 白龍城

相生市PRブロガーの募集に応募しましたら、当選して、3月18日(土)に行ってきました。
バスは、新大阪ー神戸三宮と廻って姫路駅南口で今回参加のブロガー約20名が終結、いざ出発です。
今回は、相生市をもっと知ってもらうために、参加したブロガーが自分のサイトで、相生のいいところを紹介していきます。

このブログは、以下のラインアップで相生を紹介する予定です。
 
タイトル「相生市PRブロガーツアー」
3月27日 万葉岬 白龍城 ど根性大根の大ちゃん
3月29日 牡蛎食べ放題 お土産やさん
3月31日 羅漢の里(石仏) 

 
 
 
相生市は、兵庫県の西南に位置して、西に赤穂浪士で有名な赤穂市があり、東は赤とんぼの歌で有名な龍野市の間に挟まれた人口約3万の静かな街です。
市の周辺は小高い山に覆われた盆地のようになっていて、市の南部には瀬戸内海が深く入り組んだ相生湾があって、先端には万葉の岬がある眺望のよいところです。
 
 

 


最初の訪問地点は、相生湾の東の最先端にある「万葉の岬」です。

 

 

岬に立つと東は明石海峡大橋、南に四国、西に小豆島まで見渡すことができ、千数百年前の風景をとどめて、万葉のこころを伝えています。

 

この岬には、市木である椿が12月~4月にかけて赤、白、ピンクの花が咲きます。

 

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相生みなとの女王さん
(頭の後ろの板はハートマークになっています)
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訪問した日が「椿祭り」でした。
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  道の駅・海の駅 あいおい白龍城(ペーロンじょう)
露天風呂のある天然温泉、レストラン、特産品販売所などがあって、相生を訪れる方の憩いの場となっています。
問い合わせ先:あいおいアクアポリス☎0791(23)5995
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ペーロン
「白龍(龍船)」の中国音のパイロンがなまったものといわれています。
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 我が国へは1655年に伝来したといわれています。その当時数隻の中国船が長崎港を訪れた際、強風のため出航できなくなったので、海神を慰めて風波を鎮めるためにこの「ペーロン」競漕を港内で行いました。
 これを長崎の人達がとりいれて競漕を行うようになり、長崎の年中行事の一つとなっています。

相生では、1922(大正11)年に長崎県出身者によって伝えられ、 1963(昭和38)年からは「相生ペーロン祭」の海上行事として、ドン!デン!ジャン!と、中国特有の銅らと太鼓の音に合わせて力漕する姿は、まさに龍が水面を駆けるように壮観そのもので、盛大に行われております。

ペーロン祭りが行われる場所、白龍城の前にあります
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あいおいのマスコット:ど根性大根:大ちゃん
2005年8月、道路のアスファルトを突き破って生えてきた大根をど根性だいこんとして市のゆるキャラにしました。
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色んな所に出没します。
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販売所で売られています
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道の駅・海の駅:あいおい白龍城
相生市那波南本町8-55




相生市PRブロガーツアー2/3へ
(牡蛎食べ放題 おみやげ)
 

2017.03.22

千体地蔵(三木市)と昼食:ふく蔵(加西市)

山陽自動車三木東IC近くの大谷川の川沿いの山裾一面に多数のお地蔵さんが置かれており、 年代ははっきりしませんが、室町時代から子宝地蔵として信仰を集めています。

千体地蔵

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兵庫県三木市志染町井上





昼食は「ふく蔵」です。

ここは、創業1839(天保19)年の酒造;富久錦の建物をそのまま使ったレストランです。

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天然やきあなご膳 ¥1700(税別)5_r


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兵庫県加西市三口町1048



2017.03.20

インドの法道仙人が開いたお寺(6)    各地

 

法道仙人にちいては、清水寺の平安末期の文章や元亨釈書(げんこうしゃくしょ 鎌倉末期の仏教史書)によると3紀中ごろに紫雲に乗って中国・百済を経て日本に飛来、山並みが蓮の花のように八葉に分れた谷から五色の光を放つ場所を見つけて降り立ったのが法華山(加西市)でした。そして一乗寺を建立してここを起点として兵庫県内を中心に活動し、遠くは鳥取、九州、四国にまで及び約120以上の寺院を開基したと伝わっています。

法道仙人の建立されたお寺は、山奥に多く造られたので、昔のままの姿で残っているものが多く、また、紅葉、桜の名所となっています。


法道仙人については、伝承でしか分からず、来日は、
3世紀中ごろと言われており、お寺の建立は、640~650年代が多く、
最後の開基寺が新善寺(神戸市)が840年で、インドから来日依頼実に600年間に及び、富山、鳥取、九州、四国と広範囲にわたってお寺を建立してきたことになります。


後に開基のわからないお寺が法道仙人伝説を使って、各寺が法道仙人が開基したことにしたのではないかと思われます。

仙人は、多くのお寺を建立したあと天竺(インド)に帰られたと言われています。




法道仙人開基の120寺の一部です
                                                                                                     
 

山号/寺院名

 
 

建立年

 
 

所在地

 
 

金楽山 法楽寺

 
 

642~645年

 
 

神崎郡神河町中村1048

 
 

五峰山 光明寺

 
 

594(古い年代)

 
 

加東市光明寺433

 
 

柏谷山 西林寺

 
 

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西脇市坂本455

 
 

鉾礼山 正法寺

 
 

649

 
 

三木市別所町正法寺157

 
 

近江山 近江寺

 
 

646

 
 

神戸市西区押部谷町近江147

 
 

道林山 横蔵寺

 
 

白雉年間650年から654年まで、天皇は孝徳天皇)

 
 

加古川市平岡町新在家900

 
 

野寺山 高蘭寺

 

のでら こうおんじ

 
 

白雉年間

 
 

加古郡稲美町野寺851

 
 

蓬莱山 普光寺

 

ほうらいさんふこうじ

 
 

651

 
 

加西市河内町1449

 
 

竹林山 常勝寺

 

ちくりんじょうしょうじ

 
 

大化年間(最初の元号。西暦645年から650年)

 
 

丹波市山南町谷川2630

 
 

摩耶山 忉利天上寺

 

まやとうりてんじょう

 
 

646年 法道仙人が持参した

 

十一面観音菩薩像6cmあり

 
 

兵庫県神戸市灘区

摩耶山町2-12

 
 

 

新善寺

 
  840 (新しい年代)  

 本堂の南僧尾観音堂  

が残っています

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兵庫県神戸市北区淡河町南僧尾

 
 

六甲山 多聞寺

 

ろっこうさんたもんじ

 
 

645654年

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神戸市北区有野町唐櫃

 
 

打吹山 長谷寺

 

うつぶきやま ちょうこくじ

 
 

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鳥取県倉吉市

 
 

耆闍崛山 羅漢寺

 

ぎゃくつせん らかんじ

 
 

645年(大化)

 
 

大分県中津市

 
 

金光山 仙龍寺

 

きんこう せんりゅうじ

 
 

創建不詳

 
 

愛媛県四国中央市

 
 

芹谷山 千光寺    

 
 

703

 
 

富山県砺波市芹谷

 
 
 

2017.03.17

インドの法道仙人が開いたお寺(5)    石嶺寺(兵庫県)

石峯寺(しゃくぶじ)は、寺伝によれば651年(白雉2年)、孝徳天皇の勅願により法道が開山したとされ、延命地蔵と称する地蔵菩薩を本尊とする。747年(天平19年)、行基が薬師堂を建立し、823年(弘仁14年)、嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したと伝えられています。真言宗の寺院で山号は岩嶺山(がんれいさん)。

石峰寺
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本堂

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三重塔(823年に建立)
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薬師堂(747年に行基が建立)
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この奥には、徳川将軍のお墓、明石城主や淡河(おうが)城主のお墓があります。右が家光公の墓所

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山門

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場所:兵庫県神戸市北区淡河町神影110-1

2017.03.15

インドの法道仙人が開いたお寺(4)    伽耶院(兵庫県)

伽耶院(がやいん)は兵庫県三木市にある天台系修験道の寺院。山号は大谷山(おおたにさん)。宗派は本山修験宗。本尊は毘沙門天。
古くは大谿寺(だいけいじ)あるいは東一坊(といちぼう)と称していたが、1681年に後西上皇の勅によりインドの仏陀伽耶(ブッダガヤ)に因む寺号、伽耶院(がやいん)と改めた。

 645年(大化元)年、インドの法道仙人によって建立されました。

1578(天正6)年の秀吉三木城攻め、1609(慶長14)年の大火によって建物は全焼しました。現在の建物は、それ以降のものです。
今も体育の日には、200名以上の山伏姿の修験者が集まり、採燈大護摩が行われ、山伏の寺として知られています。


本堂

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伽耶院説明(クリックで拡大)
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本堂と多宝塔
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伽耶院説明(クリックで拡大)
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ご本尊
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護摩道場
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行者堂
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開山堂
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開山堂説明(クリックで拡大)
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二天堂
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二天堂像
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臼稲荷
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臼稲荷説明
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臼を抱いた紅葉の木
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ぽっくりさん

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水子地蔵
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こんな看板がありました
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伽耶院の近くに地元の造り酒屋稲葉酒造(株)があります。

清酒 染櫻 大吟醸    4合瓶(720ml)   3,050円 

好きな方は、寄られたら味見酒ができます。
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場所 兵庫県三木市志染町大谷410 
 

2017.03.13

インドの法道仙人が開いたお寺(3)    清水寺(兵庫県)

清水寺(しみずでら)は、三草山の東にある御獄山(みたけさん 標高552M 兵庫県加東市平木)の山頂にあります。
播州清水寺の開基は、インドからやって来た法道仙人で、天竺(インド)から紫雲に乗ってこの地へやって来たという伝説が残されています。しかも、清水寺を建てたのは、今から
1800年も前、第十二代景行天皇が治められていた時代のことで、歴史に残る仏教伝来(538年、または552年)よりも遥か前とされています。古い時代からの言い伝えですから正しいかどうかは不明です。
※景行天皇(けいこう)は、古事記、日本書紀に書かれていますが、存在がよくわからない天皇です。仮説では、4世紀前半にあたるようで、日本書記によると143歳まで生きられたことになります。

その後、627年に推古天皇の勅願により「根本中堂」が建立され、法道仙人が一刀三礼(刀を一度入れるたびに三度の祈りを捧げること)で彫ったご本尊「十一面観音(秘仏)」が安置されるようになりました。

清水寺の名前は、水に乏しかったこの地で、法道仙人が水神に祈ったところ、霊泉「滾浄水(こんじょうすい)」が湧き出したという伝説から取られています。


このお寺は、源平との縁は深く、大塔は清盛の生母と言われる祇園女御、薬師堂は清盛の養母:池禅尼、阿弥陀堂(現在は建物はありません)は源頼朝が建立したと伝えられています。
寺宝の中に
「弁慶の碁盤」と伝わるものがあります。源氏の軍勢が当寺に立ち寄った時、弁慶が僧と碁をさし、負けたことに腹をたてた弁慶が碁石を碁盤にたたきつけ、碁石がめりこんだと伝わっています。また、西坂中腹には、弁慶が担ぎあげたが力尽きて置いたという「弁慶の力石」があります。


仁王門




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大講堂
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根本中堂(627年に推古天皇が建立)
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大塔跡






薬師堂






鐘楼
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兵庫県加東市社町平木1194

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