2016.09.15

明石海峡大橋体験ツアー(ブリッジワールド)

2005年4月実施の記事です


世界最長の明石海峡大橋主塔の海面より289mの位置
にある展望台まで登るツアーに参加した記録です。

4月28日(木)快晴
4回目の応募でやっと念願の明石海峡大橋の
主塔に登る申込が許可されました。



《地図》
JR舞子駅に9:40着、ここから約5分で明石海峡大橋です。

   

集合場所の「橋の科学館」に到着。受付で参加料2100円を払って2階へ

   

指定された席に登頂用道具と誓約書が置いて有り誓約書にサインする。
(・自ら2K以上の歩行ができ、階段の昇降ができます。
・高所、閉所恐怖症ではありません。・飲酒をしていませんなど)
参加者は29名(女性:17名 男性:12名です。)) ほとんどが中高年者です。
10時、挨拶で始まり、10分ほどの橋の出来るまでのVTRで説明を聞く。

   

橋の科学館で橋の構造やどのように組み立てたかの説明を聞く。
世界最長の吊橋と高さでギネスブックに認定されています。



いよいよ橋に登ります。

   

この通路を通って神戸側の主塔まで960M、通路からは下に海が見えます。 当初の計画では、この通路のある部分に新幹線が通れるように計画されて いました。現在は、工事用のトラックが通れるようになっており、淡路島に送る 水道菅や光ファイバーが通っています。

   

主塔に登るエレベーターのある場所まできました。アンカレイジから960M,海上から67Mの所にあります。ここからエレベーターで約2分で海上から289Mの頂上に昇ります。

距離説明

見た感じより実際は距離があります

   

ここが主塔の頂上、海面より289Mの場所です。
東京タワー(333M)の特別展望台(250M)より高い所です。



南側の淡路島を見る



北側の神戸方面を見る

   

帰りに展望レストランで一休み。(橋の護岸から海上に突き出たところにあります)


最後に認定書をいただいて終了です、12:20分解散
この企画はH16年から始まって2年目、予約が一杯でなかなか思う日に取れません。

橋の科学館   本州四国連絡高速道路(株)    ブリッジワールド公式HP

(2005年4月実施の記事です)

2016.09.07

明石海峡 和歌・歌・詩

明石海峡、大橋、神戸・明石・淡路島に関係のある
歌・詩・和歌を掲載しています。

Photo_6
明石海峡大橋と淡路島   (地図
(アジュール舞子から)


『荒磯越す 波をかしこみ 淡路島 見ずや過ぎなむ ここだ近きを』
(万葉集)
〔素晴らしい景観の明石海峡を見ないで通り過ぎるのは残念である〕

明石海峡大橋の建設で、海峡の素晴らしい風景が損なわれることを心配して、 海底トンネル案が検討されました。この素晴らしい景観を見ることは、
飛鳥時代からの日本人の悲願であったことが、歌にも残っています。
昔は、危険な場所で、海岸から離れた山の中の古山陽道を通ったようです。



万葉集:飛鳥の歌人:柿本人麻呂の歌
『ともし火の 明石の大門(おおと)に 入らむ日や 漕ぎ分かれなむ 家のあたり見ず』

〔九州に赴任する時、明石海峡に船が入って故郷の大和の家の方が見えなくなった〕


『天さかる 夷(ひな)の長道(ながじ)ゆ 恋ひ来れば 明石の大門より 大和嶋見ゆ』
〔西国からの長い瀬戸内海の船旅も、明石海峡を乗り切ると大和の生駒山も見えてくる〕

万葉集か古今集か?人麻呂か小野篁(おののたかむら)の歌か?
『ほのぼのと 明石の浦の 朝霧の 島がくれゆく 舟をしぞ思う』



S4


第2次世界大戦の1945年(昭和20年)5月頃には、明石海峡は、機雷が投下され鋼鉄船の航行は不能になり、淡路島の岩屋~明石間の定期便:播淡連絡船は運行を中止する。
同年の12月9日、岩屋を出帆した30トンの木造船「せきれい丸」は、定員の3倍以上の344名を乗せ岩屋と明石の中間点に来た時、西波を受け転覆、全員が明石海峡に投げ出され、 助かったのはわずか40名、304名の犠牲者をだしました。


◆≪参考資料≫川口 陽之(きよし)氏著 「明石のくに」「垂水郷土史」

Photo

 

明石海峡 歌:水森かおり

あれは塩屋か 須磨の灯か 

私を呼ぶよに 揺れている

風がひゅるひゅる 泣く夜は 

ぬくもり欲しいと 海の泣く

命の綱のこの恋を 

待って背伸びの 待って背伸びの 

明石海峡

クリック拡大
8_2

 

明石海峡   歌:多岐川 舞子

明石海峡  今日も日が暮れて

はぐれ鴎が  ピョロと啼いた

俺を待つなと  言うのなら

なんで教えた  この胸の

切なさ消せない  舞子のおんな

Photo_2

 



明石海峡大橋
  歌・歌詞 京光恵

この橋渡れば あなたが待っている

さざ波まぶしい 瀬戸の海

心をつなぐ 二人の架け橋

早く会いたい 早く会いたい その胸に

明石海峡大橋 願い橋



Photo_2



 

そして神戸  歌:前川 清

神戸 泣いてどうなるのか 

捨てられた我身が みじめになるだけ

神戸 船の灯うつす 

濁り水の中に 靴を投げ落とす

そしてひとつが 終わり そしてひとつが 生まれ

夢の続き 見せてくれる 相手 捜すのよ

24

 

2016.08.31

国生み淡路島 7/7  伊弉諾神社

国生み淡路島の連載も今回が最後です。

伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、神代の昔に伊弉諾大神・伊弉冉の二神 が、日本国を造られた後に、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、
淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された所がこの場所です。
ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に建てられた伊弉諾神社に祭られました。日本最古の神社と言われています。

地元では、この神社のことを旧町名:一宮町から「いっくさん}と呼んで慕われています。(現在は兵庫県淡路市多賀 多賀の地名は、記紀に記載された時から現在まで伝わってきています)

 

本殿入り口
12_r_2

本殿
18_r_3


クリック拡大
Photo_14


伊弉諾神社大鳥居
76_r_2


一直線で中鳥居、本殿まで行きます
71_r_2


3_r_2



ポケモンは厳禁です
Photo_15



本殿境内の入り口です
53_r_2


境内
15_r_2


49_r


8_r_2


Photo_16


ひのわかみやと陽の道しるべ
伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように、東西南北には縁ある神社が配置されていることが記されています。
(クリック拡大)
Photo_22






夫婦円満の御神木:大楠をお参りに来られる方が多いです
大楠の樹齢は800~900年と言われています
39_r_2


Photo_17


Photo_18



元は二本の楠でしたがいつのまにか一つの大楠になっています。
Photo_19


Photo_20



岩楠神社(いわくす 大楠の根元にあります)
37_r_2


Photo_21



力石(この石で力比べをしました)
13_r_2

2016.08.28

国生み淡路島 6/7 天浮橋

日本書紀、古事記によれば、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の二神は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となりました。
(下に続く)

天浮島、葦原国、おのころ島地図
4

道案内写真
_r
手前に行くと天浮橋はすぐです、左は葦原国


天浮橋
(あまのうきはし)
_r_2
江戸時代の地図には天浮橋と記載されており、本当に川にかかった橋でした。今では、手前側に溝があって水が流れています。


Photo

中央にあります
7_r


12_r
囲いの中には、石が二つあります

クリック拡大
Photo_2



西から見ています。
1_r_


民家の間に天浮橋はあります
2_r


磤馭盧島神社
おのころ島神社の石碑が榎列小学校の角の交差点にあります。(今では、この漢字表記はほとんど使われません。)

15_r_2
矢印方向に行くとおのころ島神社があります。



反対側にある灯篭
18_r

 

〔上からの続き〕
ここからこの二神は、大八島を構成する島々を次の順番で生み出していきました。

1、淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま):淡路島
2、伊予之二名島(いよのふたなのしま):
四国
3、隠伎之三子島(おきのみつごのしま):隠岐島
4、筑紫島(つくしのしま):九州
5、伊伎島(いきのしま):壱岐島
6、津島(つしま):対馬
7、佐度島(さどのしま):佐渡島
8、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):
本州

以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに)と言います。

 

 

 

2016.08.26

国生み淡路島 5/7  葦原国

おのころ島神社から西へ行った所に、日本書紀、古事記に書かれている「天浮島と葦原国」の史跡があります。


おのころ島神社から
約450mで天浮橋、約800mで葦原国
住所:南あわじ市榎列
江戸時代の地図にもこの二つの史跡は記載されています
4

_r

左に行くと葦原国
手前に行くと天浮橋


葦原国(あしはらのくに)についての記述
古事記、日本書紀によると、天(あめ)と地(つち)がひらけるはじめ、国土が浮き漂い遊魚が水の上に浮かぶようであった。その中から葦芽(あしかび)のようなものが生じて神となり、国常立尊(くにのとこたちのみこと)ともうしました。・・・・・以下、伊弉諾尊・伊弉冊尊までを神代七代(かみよななよ)と称します。
 このようなことから、葦原国は、古代伝承にもとづく日本国の別の呼名とされています。海辺に葦が繁っていて、その中に五穀豊穣の沃土があるというのです。 

葦原国(あしはらのくに)
大昔、この辺り(三原平野)は入江が入り込み、海で葦が茂っていたと思われます。

上の案内写真にある郵便局の横を西に行くと田んぼの中に小さな茂みがあります。
1_r_2



田んぼ囲まれた小さな社があり、これが葦原国の始まりの場所です。
Photo_2



クリック拡大
Photo_4





左;葦原国
右:歌碑
16_r


Photo
歌碑;千速(ちはや)振る神代の昔あしはらを 

  ひらきそめにし国常跡(くにとこあと)

※国常は、天地創成時に出現する神。混沌として浮遊するものの中から国の土台が出現したことを意味する神である。 






ここから、おのころ島神社の大鳥居が見えます

Photo_3




拡大地図をクリック

2016.08.17

国生み淡路島 4/7 おのころ島神社

おのころ島神社(自凝島神社)は、国生み神話のおのころ島と言われる場所の一つです。ここは、島ではありませんが、昔はこのあたりは、海だったと言われています。

 

淡路島地図
Photo_15

 

 

おのころ島神社の大鳥居
高さ:21.7m  横:31.2m
平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられる。
Photo_16


6

凝橋からおのころ島大鳥居Photo





本殿
Img_6300_r

8_5


八百萬神社
伊弉諾命・伊弉册命の御子神様を奉斎しております。
Img_6312_r


Photo_17

 

鶺鴒石(せきれいいし)
Photo

伊弉諾命・伊弉册命の二神様は、正殿前にあるこの石の上につがいの鶺鴒が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられました。


御神木
Img_6307_r

Photo_18



Photo_19

2016.08.16

国生み淡路島3/7 絵島

日本最初の島:おのころ島は、ここ絵島を指すと言われている説もあります。

淡路島の北端高速艇乗り場の近くにあります。
明石海峡大橋がまじかに見えます。

※おのころ島は、漢字だと『自凝島(おのころじま)』と書き「自ずから凝り固まってできた島」という意味です。

淡路島おのころ島地図
Photo_14

絵島
Photo_10


クリック拡大
Photo_11

4



頂上に鳥居があります

平清盛が兵庫港築港の際に人柱となった松王丸を弔うために建てられたと言われています。
2


Photo_12


昔から歌にも詠まれています(クリック拡大)
Photo_13

 

2016.08.15

国生み神話淡路島 2/7 沼島 

日本列島の最初に造られたのはおのころ島だと古事記に書かれていますが、おのころ島は淡路島全体を指す説と淡路島の数か所にここがおのころ島だと言われるところがあります。

今回は、その中の沼島を紹介します。

淡路島地図
Photo


沼島
Photo_2


国生み神話(クリック拡大)
8_2

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)の二神
天の浮橋に立って混沌とした大地をかき回して、矛の先から落ちたしずくが島になり、それをおのころ島と言います。
Photo_3


神を祀った神社
Photo_4

おのころ島を漢字で書くとこのようになり「自ら固まった」と言う意味です。25





長い階段を登っていくと神を祀った神社があります
Photo_6 Photo_7

Photo_8


島の西の山頂に、おのころ神社はあります
Photo_9


クリック拡大
8_3


上立神岩(かみたてがみいわ)
天の御柱と言われています。
4_2





沼島海岸船着き場(クリック)
8_4


2016.08.03

国生み神話の淡路島 1/7

国生み神話の淡路島

人口 約17万5000人
面積 593k㎡(琵琶湖より少し小さい、シンガポールと同じ位)

≪ 地 図 ≫

 「古事記」や「日本書紀」に書かれている日本列島誕生のロマンあふれる神話は、 淡路島が、最初に造られたと記述されています。
 
人間が、生まれるはるか昔。神々は、天上の世界、高天の原(たかまがはら)に住んでおられ、下界を見て「地上を固め、治めよ」と男神イザナギと女神イザナミに命ぜられた。二人の神は「天の浮橋
(あめのうきはし)」から沼矛(ぬぼこ)で、下界を かきまわし、引き上げた沼矛から落ちた塩が積もって固り「おのころ島(淡路島)」ができ、次いで四国、隠岐の島、九州と島を生み、最後に本州ができました。
(注)沼矛とは、玉で飾った太古の刀

おのころ島の所在については、旧三原町のおのころ島、旧南淡町の沼島、淡路町の絵島、または、淡路島全体がおのころ島であるなど、いろいろの説があります。

おのころ島は、漢字だと『自凝島(おのころじま)と書き「自ずから凝り固まってできた島」という意味です。

Photo_20 

 

沼島(三原郡南淡町) ≪ 地 図 ≫

国生み神話で最初に出来た島と伝えられています。

上立神岩(かみたてがみいわ)などがあり伝説の島。

Photo_3

おのころ島神社(三原郡三原町)≪地図≫

イザナギとイザナミを祭神とする。

鳥居の高さ・21.7m、間口・12.7m、柱の直径・3m。

平安神宮、安芸の宮島と並ぶ、日本三大鳥居

神社の西300mには、天と地を結ぶ「天の浮橋」

の遺跡があり、国生み神話ゆかりの神社です。

Photo_5


絵島

淡路島の北東にあって、昔から風光明媚な所で歌にも読まれています。
Photo_21

 

伊弉諾神社(津名郡一宮町)≪地図≫

イザナギ神社と読み地元では「いっくさん」と親しまれている。イザナギとイザナミの二神が祭られています。

日本書記によれば、国生みを終えたイザナギは、国の運営を子供の天照大神(あまてらすおおみかみ)に任せ、この地で余生を送ったと記されています。

Photo_4

古事記による国生み神話

天の神の命令を受け、イザナギ(男神)・イザナミ(女神)の二神は、天の浮橋に立ち、天つ神から授かった天の沼矛 (ぬぼこ)を指し降ろして潮を「こをろこをろ(カラカラという音)とかき混ぜる。矛を引き上げると、矛先から潮が落ちて固まり、 島となった。おのずから凝り固まったのでオノゴロ島という。二神はこの島へ天降り、天の御柱(みはしら)と八尋殿(やひろどの)を 建て住みました。そして、  淡路の穂の狭別島(さわけしま・淡路島)を筆頭に、伊予の二名島(ふたなのしま・四国)、隠岐の三つ子の島(隠岐島)、 筑紫島(九州)、伊岐島(いきのしま・壱岐)、津島(つしま・対馬)、佐渡島、そして最後に大倭豊秋津島 (おおやまととよあきつしま・本州)を生んだ。これを大八島国(おおやしまくに)という。さらに六島〔吉備児島(きびのこじま)、 小豆島(あずきしま)、大島、女島(ひめしま)、知訶島(ちかのしま)、両児島(ふたごのしま)〕を生む。

(歴史読本 2002年4月号 飯泉〔いいいづみ〕 健司先生の文献より引用)

2016.07.04

玉造稲荷神社

玉造稲荷神社は、大阪城の南にあります。
この辺りは、約5千年前から人々が生活を営み、古代に勾玉を作っていたことからその名が生まれた。聖徳太子のゆかりの地であり、天下人:秀吉の大坂城築城では三の丸ができ、江戸時代は城下町として大坂・政治の中心地として栄えました。


(玉造小学校南:地図左上の拡大表示をクリック:)

 

玉造稲荷神社本殿
5_r


大鳥居
3_r


クリック拡大
Photo



『日本書紀』に「玉作部(たまつくりへ)」の居住地として記されています。
玉造部とは大和朝廷に所属し三種の神器の「曲玉(まがたま)」などの玉製品を作る専門職の人達のことです。
Photo_2


Photo_3

 

千利休井戸
3_r_2

2


千利休顕彰碑
玉造禰宜町に千利休は屋敷を構えていた。
4_2



Photo_6




お伊勢参りの出発場所であった。神宮まで170kと書かれています。
4


8_2

 

近松門左衛門文学碑
近松門左衛門の「曾根崎心中」や「卯月の紅葉」などに玉造稲荷神社が多くの参拝者でにぎわっていたことが描かれています。
Photo_5

仰向く顔に当る日を  神かざしの玉造
稲荷の宮居ここもまた  伊勢の内外の内平野町
「ひじりめん卯月の紅葉」より

あつき日に貫く汗の玉造 稲荷の宮に迷ふとの
闇は理(ことわり)御仏も 衆生のための親なれば
「曽根崎心中」より

«豊臣秀頼公 胞衣(えな)神社

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

紹介ブログ

book

カテゴリー